わがライアーの音 ゆめとユメと夢 サティーへ

2012年3月24日

サティーの音楽は恐るべき音楽の真実を語ります。

無重力の中で繰り広げられる音は夢そのものです。

果てしない広がりです。

人間は夢を通して脱皮するのです。

 

サティーからもらったインスピレーションです。

 

いろいろなことが夢という言葉には含まれています。

一番目は寝ている時に見る夢。

二番目は白昼夢。

三番目は心に抱く夢。

みんな大切です。

夜夢を見なかったら、覚えていかどうかは別として、眠りに遊びが無くなってしまいます。

心理学は夢を現実に引き戻そうとするかの様にメスを入れます。

夢は夢であってはいけないと言わんばかりです。

夢の中で特に興味深いのは、正夢です。

夜明けに見る夢です。

時にはその人の人生を変える程のことが正夢で伝達されます。

他の人から言われるよりも、本人にとって説得力のあるものです。

夢の中とは言え自分自身の中でのことですから。

 

白昼夢は夢遊病者の様に思われるかもしれませんが、違います。

人間は覚めている時、ずっと覚めているわけではありません。

時には寝たりしています。

そして同じように夢を見ています。

ぼんやりしている時は、寝ているか、夢を見ている時です。

気を紛らわせているのですが、それが大事です。

そうでもしなければ気を張り詰め続けて、心も体もこちこちになってしまいます。

力を抜いているのです。

今の人は、何とこれが下手なことか。

知的に訓練され頭はよくなっているし?!、その上ネットで集めた情報が沢山在ります。

振り回されているのです。

力を抜くことを社会はもっと重視しなければ、社会には病人があふれます。

ぼんやりする仕方を教えます、というワークショップをこれからはしなければならないかもしれません。

今はまだ、多くの人が、「そんなこと」と一笑に付すでしょう。

しかしそうすれば社会が元気になることは間違いありません。

ワークショップもいいですが、ライアーの音を聞くだけで十分です。

ライアーの音は実はそういう音なんです。

キリキリしている毎日の中で、ライアーの音は心も体も芯までほぐします。

ライアーに限らず音の凄さです。

しかしライアーの音には余韻という魔法が宿っています。

余韻を持つ音の凄さです。

余韻は私たちを取り巻いている全てのものに勝って、「ほぐす力」を持っています。

ドイツでは職業音楽家の早期退職者が増えています。

音がそんなにいいものなら、みんな元気になっていいはずです。

でも現実には、皮肉にも音楽家に病気が多いのです。

音の質に問題があるのです。

余韻を削った音は、却って人を苦しめるのです。

ほぐす音は私たちが普通に聞く音楽の音とは違います。

それは職業的に音楽をする人からすれば、貧弱な音かもしれません。

パフォーマンスのための音ではほぐせません。

余韻という音を超えた音、夢の音を私たちは必要としているのです。

 

少年よ大志を抱けというのと同じで、人間よ夢を抱けです。

精神科学を始め学問が発達してからは、人間は問題点を探ることにばかり集中してしまいました。

今では問題の解決が人生の課題と言えます。

そんな人生、味気のないつまらないものだとは思いませんか。

人生で一番大切なのは夢を語ることです。

大法螺でもいいから大きな夢を語るべきです。

そこから人生は広がります。

問題探しでは人生はしぼんでしまいます。

人生がやせ細って鬱になってしまいます。

社会が鬱であふれているのは、そういうことです。

夢はのんびりと心を解放してくれます。

人は夢の中で自分自身を超えて行くのです。

夢の中で、現実の問題は浄化されるのです。

 

 

 

 

 

 

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