沈黙から言葉へ、言葉から沈黙へ  その三

2014年9月22日

天文学はブラックホールの研究が盛んになっていて、つい最近非常に大きなブラックホールが見つかったとNASAが報告しています。ペルナセウス座の方向に、2億2000万光年離れた銀河NGC1277の中心で、重量が太陽の170億倍もあるブラックホールです。宇宙のことを調べるといつも想像を絶する桁違いの数字に惑わされてしまいますが、簡単な数字に直すと太陽系の11倍の大きさで、その数字に支えながら想像してみるとどの位の大きさかイメージできます。

私が子どもの頃はブラックホールというのが存在すると言われてはいましたがよく解らないものでした。そのわけのわからないものを研究している人も少なかったそうです。あまり好感を持って見ていなかった記憶があります。

ところが、最近の天文学は見方が変わってきて、宇宙存在における大きな意味をブラックホールに見ようとしているのです。

ブラックホールは光をはじめ星まで呑みこんでしまいます。そこまでは分かっていても、ブラックホールの中身も呑み込まれた後、光や星がどうなるのかはまだ分かっていないのです。

 

この報告を沈黙のことをオーバーラップして読んでいました。

沈黙を何もしていない消極的なものと考える時代は過ぎ、現代は積極的に沈黙の持つ力を認めようとしていますが、まだ沈黙の中身をつきとめていません。 

 

 

日本の禅宗の道場で修行を積んだドイツ人が、キリスト教の修道院を借りてセミナーを行う様になっています。少し前は瞑想、メディテーションを売りに出していましたが、最近は「喋らない」という意味のSchweigenが使われ、Schweigseminar(無言セミナー)に変わってきています。

仏教とキリスト教が融合したように見えますがそんなことはなく、教義的なところではいまだに相入れないものです。

教義というのは前のブログに書いたように言葉、ロゴスで、論理的で理屈を振り回し、基本的には批判的な態度ですから、「あなたは私とは違うのです」というところに納まってしまい状況によっては対立が生じます。

 

沈黙がカギです。

沈黙の力は異なったものを難なく一つにします。

沈黙は和の力の満ち満ちているところです。

私たちが違う意見を受け入れ理解できるのは沈黙によってです。

言葉は相手を説得しようとしますが、沈黙は相手がどうのこうのというものではなく先ず自分を変えます。

もっと言えば、言葉、ロゴスは人を罰し、沈黙は人を許すということかもしれません。

 

 

ふとこんなことを思い出しました。

私が施設で働いていた時のことです。重度の障がいを持ったお子さんが私のグループにいました。その子のお世話を社会実習のため半年私ところに来た17歳の青年にしてもらったことがあります。その青年の素質から見て寝たきりの重度の障害持ったお子さんのお世話に適していると判断したのです。

その青年には施設の生活に慣れた二週間目頃から食事の時は必ずそのお子さんの隣に座ってもらい、スプーンを口に持って行くのも不自由なそのお子さんの食事の世話をしてもらったのです。午後は車いすに乗せて短い時間でしたが散歩に行ってもらいました。朝起きた時と夜寝る前におむつを取り替え体を拭いてもらいました。

半年の間その青年は全力を尽くして、寝たきりの重度の障害を持ったその子の世話をした後、実習生として無事仕事を終えて施設を去って行きました。

 

重度の障がいを持つそのお子さんは喋ることができません。青年がその子と接している時は会話が無く、青年は一方的にそのお子さんに話しかけていました。笑うことも泣くこともないお子さんでした。

ただそのお子さんは自分の世話をしてくれている人が気にいると声を出して答えようとします。

その青年の時にもよく声を聞きました。

 

最初の二週間、青年は寝られない日々を過ごしたそうです。仕事を終えて自分の部屋に帰っても彼のことが頭から離れず夢にうなされたこともあったそうです。

二週間を過ぎると青年はみるみる変わって行き、そのお子さんとの生活を楽しんでいるようでもありました。

そのお子さんの方もその青年が気に入った様で言葉にならない声をたびたび聞いたものです。

 

半年経って、実習最後の日には涙の別れが待っていました。青年はそのお子さんの隣に座って最後の食事を済ませました。青年の両親が迎えに来たところで席を立ち、その子にさようならを言おうとしたのですが言葉にならないのです。始めての経験に戸惑って、しまいに泣き崩れてしまったのです。青年は無言で彼が半年世話をしたお子さんを抱き締めるのが精いっぱいで何も言わずに両親のもとに立ち去りました。

青年は半年前と全く違う人に生まれ変わっていました。何が変わったのかは言葉にしにくいところですが、別人になって施設を去って行きました。

 

何も言わない寝たきりのそのお子さんが青年を半年足らずで別の人間に変えてしまったのです。

青年は将来セラピーの仕事を考えていた様で、私のところに来て将来のことを色々模索したかったのでしょう。

初めの頃青年はそのお子さんにもセラピーが必要なのではないかと質問してきました。

私は今その青年がしていることが立派なセラピーだと答えたのですが、その時点では分かってもらえなかった様です。

去る前の日、青年が私のところに来て恥ずかしそうに言った言葉です。

「僕があの子からセラピーを受けた様です」

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