富士山は何故霊峰なのか

2015年5月23日

ドイツの雑誌社から電話があって、富士山のことを書いてほしいというのです。ドイツ語の勉強には文章を書くのが一番で二つ返事で引き受けました。

ところがしばらくしてまた電話があって、何故富士山が霊峰富士と holy 扱いなのか書いてほしいと言われます。更にその直後また電話があって、今の日本人にとってその holy はどういう位置づけになっているのかにも触れてほしいとなって、晴れ渡っていた二つ返事がだんだん厚い雲の中に消えそうにまでなりました。

 

古代の信仰の中で、ヒマラヤのエヴェレストはチベットの人にとって神様の住まわれる家でした。アフリカのマサイ族もキリマンジェロには神様が住まわれていると信じていました。きっと富士山も一万年前に今の姿として人々の前に現れた時には、同じ感覚でとらえられていたのではないかと思います。そうした信仰をアニミズムと呼びます。

しかし噴火は864年の大爆発を最後に休止状態に入りますが(1707年まで)、平安時代を通して十数回の大きな火山活動のあった山で、古今和歌集などでは富士の嶺(ね)という枕詞が「燃える」にかかる様に、危険きわまる山でした。そのため浅間(あさま)神社が火山活動を鎮めるためという願いを込めて 「木の花のさくらひめのみこと」を祭り建立されます。神道の信仰の対象としてここで初めて具体的に登場します。その後浅間神社はふもとに数多く建てられ、多い時には百社を数えた程でした。ところが神様の家という考えはそのまま生き続けています。火山活動は神様の怒りとも解釈されていたのです。更に周囲に広がる火山湖も同じ様に信仰の対象でした。

12世紀ころから仏教系の僧侶が登山を始め頂上に大日堂が建てられる様になると仏教の信仰対象であるということになります。富士山麓に日蓮が自らの宗派の基礎を築いたりもしました。18世紀に財産を捨てて山に入り断食の末入定した僧侶が現れ、それが大きなセンセイショナルを呼び、瞬く間に民衆の間に富士登山が広まって行きます。富士講という組織も作られ、増大する組織を徳川幕府が恐れて禁止令を出すほどでした。これを私は民衆の素朴な富士山信仰と見ています。

そうすると四種類の信仰の対象であるのが富士山ということになります。全て現在進行形ですから、あれかこれかの二者択一の考えで生きているドイツ人にどう説明したら分かってもらえるのか・・・、大変苦しみました。

「ふじ」という呼び方は、一般的には富士ですが、他に不二、不尽、不死と著わされるものです。中国の秦の国から使いが来て、富士山に育つと言われる不老不死に効く薬草を持ち帰る話しがあるかと思うと、聖徳太子は馬にまたがり飛んで富士山の頂上に立ったとか、竹取り物語では、かぐや姫は富士山から来たことになっていたりと、静かなたたずまいのわりには、世の中は放っておけず、なかなか賑やかな山です。

葛飾北斎、安藤広重が描いた三十六枚シリーズの富士山を筆頭に、数え切れない画家によって富士山は描かれています。ただ自然の中の山を描いているという次元ではなく、それぞれの絵には画家たちの命が注ぎ込まれていて、私は時々自画像に匹敵するものではないかと思ったりします。日本人のアイデンティティーを富士山に感じてしまうのです。

世界遺産に登録されてからのは人気が高まり、七月一日から八月三十一日までの間に三十万人ほどの登山者があるそうです。三千メートル級の山としてはそれほど難しい山でないこともあるのでしょう。登山者たちがどれほど霊峰富士を意識して登っているのかは分かりませんが、富士登山は何処となく神聖な登山であることは共通しているのではないのでしょうか。今でも白装束に八角の棒を持ち、当時の富士講の伝統を意識して浅間神社をお参りしてから登山する人たちも数多く見られます。

 

富士山を調べていると富士五湖のことも気になります。富士五湖は古くから信仰の対象であった様です。湖には竜神が住んでいて、それらがみな神聖視されています。

富士山は長いすそ野を四方に広げて聳える、形からすると大変珍しい山で、しかも3776mという高さのため上昇気流が発生しやすくなっています。山頂は雲に隠れていることが多い山で、「富士山は恥ずかしがり屋さん」と言われる所以です。雨が多いことが湖の数を増やし、そこから川が流れ周囲を肥沃な農地にします。

水は燃える山を鎮めるためにも一役買っていたようです。水の神様と火の神様とが調和している場所それが富士山なのかもしれません。

実は塩は昔は「し」と「ほ」で「しほ」と読まれました。「し」は水のことで、「ほ」は火のことです。塩の中には水の力と火の力が同居し、そこから結晶する力が生まれているということです。二つの対立した力から大きな緊張が生じているのですが、それなのに調和が保たれ、その力から結晶物ができるということで、清める力があると感じられたのかもしれません。神技である相撲は今でも土俵を塩で清めています。神社仏閣でも塩が使われます。商売をしている家は勿論、一般家庭でも塩で清める儀式は多く見られます。

塩を潮と書くと海に起こる満潮と干潮のことになります。二つの異なる力が調和するところと考えたのかもしれません。海そのものが大きな清める力を宿しているものなのかもしれません。

と言うことは、富士山に登るだけで、その場にいることだけですでに清められて帰って来る、そう言ってもいいのかもしれません。

コメントをどうぞ