真面目の未来像

2012年5月22日

私自身真面目な人間だと思っています。

大真面目です。

ここでい言っている真面目というのは、前回のブログの真面目さとはすこし多がいます。

物事に真正面に向かい合うことです。

 

物事に向かいあっていると解って来ることが一つあります。

物事、いろいろな事は向かいあってすぐに解るものではないということです。

 

解るためには根気が必要です。

続けることです。

続けることからしか解らない事は沢山あります。

経験を積むということですが、私はもう少し意識的な作業と捉えています。

続けるとはいっても、どこからに原動力となるものがないと続けられないものです。

この原動力を真面目と呼んでいいと思います。

真面目でないと続けられないものです。

いい加減な人は、たいてい三日坊主です。

持続の原動力、それは先ず何よりも真面目さです。

 

続けることの原動力としてもう一つ挙げておます。

もう一つは「解らないと言える真摯な態度」です。

解らないというのは人前でいうのが難しいです。

恥ずかしい時もあります。

そこで登場するのが解ったふりをすることです。

あるいは解った積りになることです。

基本的にはウヌボレですから、解った積りはあまり上等なものではありません。

続けることを邪魔します。

解らないと自分に言えるのは特殊な能力です。

しかもそこから生まれる意識状態は特別なものです。

暗いこともありますが、どこかにいきいきしたものが働いています。

ただ暗いだけでなく、前向きの暗さです。

解らないという意識が働くから人間は成長するのです。

が、解らないでいるというのは、暗い中にとりあえずはいますから苦しいものです。

八方塞がりの様になってしまいます。

自分が駄目な人間に思えたりもします。

人に相談しても答が得られないことがあります。

それが続いてしまうと病気になることもあります。

真面目な人ほど生きるのが難しいのです。

 

とはいえ、理解しよう、そのために解ろうと努力しているところに成長があるのです。

人間の自我はそこで働いています。

解ったという時に何が起こっているかというと、自分の変化です。

自我は大真面目なものです。

今までの自分ではなくなる。

今までの自分がまるで他人の様に見える瞬間です。

 

自分が成長するためには、解らないという意識、これがどうしても必要なのです。

そして解ろうとするために払う、真摯な、真面目な努力です。

この真面目さは他の人にも伝わります。

伝わるだけでなく評価されます。

 

解らないと、自分に向かって言ったところから 自分が変わる一歩が踏み出されるのです。

大真面目な仕事てす。

この真面目さは勇気という別名を持っています。

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