人工頭脳的文章洞察

2018年9月30日

文章というのはどんなに短くてもそこには伝えたいこと以外に、その人の癖、性格、人となりが伺がえるものです。

人工頭脳も書かれた文章から書き手の判断ができるところまで来ました。性格、人格ではなくパターンを判断するのです。

しかし話を聞いていると今はまだパターンという言い方に止まっていますが、近い将来には文章の書き手をイメージするところまで行きそうな気がして来ます。

 

文章を読む時、普通は内容を汲み取り、そして解釈して、この文章は何が言いたいのかを判断します。書かれたものの内容とか意味を探すわけです。そしていい文章だとか読みにくい文章だとコメントします。ところが人工頭脳は違う方法をとります。どんなに良いことが書かれていても内容の方にはほとんど見向きもしません。そこのところがミソです。判断の材料に使われるのはまず単語です。他の単語とどの様な関連で使われるのか、またどういう単語を頻繁に使うかなどを見ます。接続詞への関心度も高いということです。それから助詞の使い方もしっかりチェクします。単語の並び、語順も重要です。

ということは文章の組み立てに興味があるということです。私たちが文章を読む際に一番気にしないところが人工頭脳にとっては大事なものということなのです。あるいは文章を書く際に癖で書いてしまうところと言えるかもしれません。

 

ある本を読んで感想文を書くというのが小中高を通してありました。私は何を書いて良いのかわからなかったので、とても嫌いで苦痛でした。感想文は内容について書くのが普通でした。ところが、人工頭脳は多分私と一緒で感想文はかけないと思います。人工頭脳は文章をまるで文法の時間の時以上に解体してしまい、そこに見られる癖、無意識に使ってしまう言葉などを整理するのです。文章の内容から書き手の真意を読み取ろうとはしないのです。単語どうしをどの様に繋ぐのか、どういう接続詞でつなぎ、何の助詞でまとめるのかを見て真意を読み取ろうとするのです。真意というのは言い過ぎかもしれません。ですから現時点ではパターンと言っているのでしょう。国語の時間の感想文でそんなことをして書いて出したら先生に呼びだされてたっぷり絞られていたと思います。

この一見特殊に見える方法に、実は今、色々な方面から関心が高まっているのです。かつては、採用にあたり履歴書にこだわった企業も、将来的にはこの人工頭脳の判断方法を導入しようと考えている向きが伺えます。履歴書には本当のことがあまり記述されていないのかもしれません。ということはそもそもあてにならないものだったのかもしれません。履歴書を批判的に見直してみると、確かにそこに書かれていることからはその人の人柄や性格は読み取ることは難しいです。「私は優しい性格で周りから好かれます」なんて書く人はいません。仮に書かれていたとしても読む方は「この人はおかしい」と思うはずで、結局履歴書からわかる確かなことはその人の生年月日と最終学歴、今まで務めた会社名などで、それ以上のものはわからないのです。

採用試験を文章を書くものにして、その文章からその人の能力、性格、人となりが伺えれば、丸ばつ式のテストや、答案を書く試験よりははるかに適切な人材を採用できるはずです。そしてそこに人工頭脳の方法が使われる様になるのかもしれません。

考えや意見というのは他の人の意見だったりするもので、嘘というほどではないにしても、その人の深いところから出て来たものでないこともあるのです。ですから要注意なのです。人工頭脳は私たちの古めかしい見方に対して、「文章にしろ人間にしろ真意は意味から見えてくるものではなくで、無意識や癖の様なものを通してイメージとして見えてくるのだ」と攻撃を仕掛けている様に感じられるのです。とても挑発的ですが、まだその背後にはプログラムを組む人間が控えて居ます。しかし人工頭脳の物事を整理する力がこの様に使われ出したことは、新しい時代の幕開けの様な気がしてならないのです。

 

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