透明な音の秘密 ライアー弾きの独り言

2012年8月30日

私たちは光が見せてくれる空間の中に生きています。

夜、部屋の中にいて暗くなって来ると電気をつけます。

電気を点けずにそのままでいたら暗くて何も見えなくなってしまいます。

そして部屋という空間も消え失せてしまいます。

 

音が作り出す空間はそれととてもよく似ています。

でも外の、光の作る外の空間ではなく、心の中の内的な空間です。

だから音楽を聞く時、音を聞いているわけですが、目を閉じで聞くのです。

その方が音が作る空間がよく見えるからです。心の中に沈潜する時にも目を閉じることがあるようにです。

 

私にとって音と音響とは違うものです。

音を音響と扱う時、音は光の作る空間の様に、外の空間の中でのあり方に焦点が移ってしまいます。

音は内的な光で、内的な空間を照らすためのものです。

音響と音の違いは、外と内ということです。

音楽は音から作られ、音として受け取られるものです。

音楽が音響的な外の効果を狙ったものになるとうるさいものになります。

音から生まれた音楽は心の中に入りそこで静かに広がって行きます。

 

外を照らす光は明るければ明るいほどはっきり、くっきりします。

よく見える様になります。

内的な空間は静けさの中から生まれますから、音が大きいてき。うるさい音のもとでは内的空間は狭くなってしまいます。

音が静けさを増すと、それはなにも音が小さければいいということではありません、内的な空間は広がります。広がるというよりも深まります。

 

静かな音がどういう音なのか考えてみましょう。

それは音を作る人と深く関係しています。その間には、まだ解かれていないですがある方程式が成立していると思います。

音楽とは違いますが、音ということで日常生活の音も取り上げてみます。

大工仕事の金槌の音、のこぎりを引く時の音にもいろいろです。優れた職人さんの作業の音は静かです。素人の音はうるさいだけでなく、聞いているとイライラします。

 

自分の動作がどこまでコントロールされているのかということです。迷いがなく、無駄がなく、のこを引く時にのこを引いている力が全て木を切る仕事に移行しています。

それは音楽と言えないのでしょうが、まるで音楽を、素晴らしい音を聞いている時に感じるときと同じ体験です。

そんな時音楽とは何も楽器からだけのものではないのだと感じます。

同じことは台所での包丁さばきにすら言えます。

まないたと包丁の作りだす快音からはおいしい料理が生まれます。

 

音を出す時の意識が問題だということの様です。

楽器も大工道具も台所道具もとりあえずは同じということになります。

それを使っている時に意識がその時の動きの中に入っている限り、どんな音も静かといえるのです。

逆に小さな音でもうるさく感じるものはいくらでもあります。

静かな部屋で無神経に新聞をめくる音はとてもうるさいです。

 

勿論静か、静けさは音量のことではないと言っても、ある程度の音量、工事現場の音とか、アンプで極端に増幅された音などは特殊なものです。

 

優れた職人さんの金槌の音がうるさく聞こえないのは、その職人さんがご自身の動きをコントロールしているからだと言いました。

いしか考えてコントロールしているということではないはずです。いちいちそんなことを考えていたら釘の代わりに指を打ってしまいます。

もう考えなくてもできる様に体がなっているのです。何年もの積み重ねがそうさせています。何年も何万本の釘を打ち続けたことからつくられるものです。

 

無心にということです。

無心というのは、心が何も思っていない、考えていないのではなく、心に釘を打つこと以外のことが何も入り込んでいないということです。釘を打つこと以外が無いということです。

その瞬間、純度の高い透明度が出現しています。素人はそこが濁っています。うるさいというのはその濁りの中から生まれるのです。

 

音楽、素晴らしい音それ等は透明な無心な心から生まれます。

そしてそれを聞く人の心も澄んだものに変えます。心が澄んでくるとき静けさを感じ、その静けさで心の中に大きな内的空間が生まれるのです。

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