ネット配信の講演会のお知らせと、今年初めてのブログ -「自分と他人」

2021年1月2日

今年初めてのブログでお目にかかります。今年もどうぞよろしくお付き合いのほどお願いいたします。

お知らせがあります。

今年の2月23日に京田辺で私のネットによる講演会が行われます。その録画がそのあと配信され1ヶ月ぐらい見ることができるということです。詳しくは京田辺のほうに問い合わせていただいて手続きをしてください。京田辺シュタイナー学校のホームページにも詳しく載っています。

 

さてパン屋さんの話で息抜きをしていただけたと信じていますから、少し硬い話をします。

自分と他人という関係について考えました。

先日好きなものを台所で作って、その後片付けをしていた時に、いったい誰のために片付けをしているのかと考えたら、結局自分のためだということになったので、おかしかったです。もう少し詳しくいうと、台所を次に使う人のためにきれいに片付けるわけですが、次に使う人が想定されていることもありますが、大抵は誰が次に使うか判らない中で片付けているのです。次に使う他人が自分である時、私、つまり自分は他人でもあるということになるのです。

不思議なのは役者です。役者さんというのは、役を通して別の人になっているわけで、その時は他人になっているので人を殺めたりできるのです。セリフを一生懸命覚えて頑張っている初心者ではなく、役になり切ってしまえる熟練した役者の場合、自分と役の他人とはどのように折り合いをつけているのでしょうか。仕事上他人でいる時、さらにいくつもの他人を同時にこなさなければならない時は精神的にパラバラな状態になるのでしょうか。歌舞伎の女方の坂東玉三郎さんは、他人を表顔(おもてずら)にして自分を上手に隠しているというような言い方をされていました。私の個人的な印象ですが、役者さんには意外とシャイな人が多いようです。

影法師は「自分の影」と言われているものです。影とは言っても、光からできる影のような薄っぺらな影ではなく、独自に存在している実態を持った影ですから、関係は複雑です。自分の替え玉かもしれません。そうだとしたら誰が替え玉なんて作ったのでしょうか。死んだら目の前に出てくるかもしれませんよと脅かされたこともあります。死んで一番初めに会うのはこの影法師だとすると(きついブラックギャグに聞こえますがそうではありません)、鏡に映っている以上の自分が目の前にいるということです。初めて聞いた時よりも今の方が真実味があるので、本当かもしれないと思うようになっています。

今まで全くの他人だった人がだんだん親しい人になってゆくプロセスはとても清々しいものです。段々気心がわかってきて、その人が問題を起こしても自分のことのように許せるようになっていたりすると、心に大きな贈り物をもらったような気持ちになります。

初恋、それは他人の中に自分だけの他人を見つけた時に始まります。

 

 

日本人は、自然と人間を融合させてしまいます。そして他人と自分をも一つのもと考えるようなのです。これは外国で生活してみると痛感します。万葉時代は自分のことも他人のことも「あ」と呼んでいたという説もあります。自分と他人の間に線引きをすることは、日本文化の中では相当の痛みがあり、みんな避けているようなので、政治的にも他人と自分を分けないことを望んでいるのでしょう。そこに日本の政治下手が露見するのでしょう。いやはや自分というのも他人というのは微妙なものです。

その自分と他人が集まると社会が生まれますので、今度は社会のことです。

社会というのは他人の集まりなのでしょうか、それとも自分の集まりなのでしょうか。社会学者の人たちの書物にあたっても難しい論理や統計のような抽象的な社会像しか見えないことが多いです。日本の場合は社会という言葉が翻訳語なので消化されていないから整理されないものが残るのでしょう。ドイツ語ではGesellschafとGemeinschaftとに別れ、前者は他人の集まりで後者は自分の集まりというように私は解釈しています。一般的にはGesellschaftはある目的のために集まった集団で、Gemeinschaftは運命的なつながりのある集団でいいと思います。アメリカの心理学者、エリック・フロムは社会をHave社会とBe社会とで説明していました。Have(Having)はGesellschaft的でBe(Being)はGemeinschaft的です。

こうしてみると日本語で社会という時両方が混ざっているような気がします。つまり他人社会でもあり自分社会でもあるという、世界に類を見ない珍しい形態が日本にはあるようです。この社会の中で、他人社会の中で生まれ、そこで成立する民主主義的な政治を行うのは限界があるのではないかと思うことがあります。日本独自の、理想的な政治形態を模索する時期に来ているのかもしれません。

 

 

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