迷わざる者、人間にあらず

2021年1月15日

ゲーテのファウストはヴァーグナーという学生の悩む姿から始まります。数学も、物理学も、天文学も、哲学も、神学までも、みんな学んだのに何もわかっていないじゃないか、とこの学生がぶつぶつ呟くのです。これはゲーテ自身の姿でもあったのでしょうが、悩み続けるしかないという結論に達します。そしてそれが人間の姿だというのです。

ファウストの最後はどうなるのかというと、悩み苦しんだ末、永遠の女性的なものによって導かれ天上世界に登りたいという願いで終わります。

ゲーテは悩むこと、迷うことを人間のあるべき姿と「迷わず」にいいます。なんとも矛盾していますが、「人間とは迷うものだ」と迷わずにいうところがゲーテという人そのもののような気がしています。彼は結局迷っていないのだと思います。

 

東洋的修行の道は、迷いを克服すること、つまり迷わないことを願っていると言っていいと思います。孔子も「不惑」といいます。四十にして迷わずです。

東洋は観念的なだけでなく実践的ですから、職人さんの仕事を見ていると、迷わずにできるまで訓練するという姿勢があり、それは私には修行の道とダブって見えます。

その昔、漆塗りの人のお仕事を見せていただいたことがありました。その時のことです。刷毛遣いを見ていた時に背筋が寒くなるほど感動したのです。今日ではベークライトのお盆に色を吹きつけて終わりですが、昔からの漆塗りは全て刷毛で塗ります。刷毛に含ませる漆の量、それをどのくらい位の漆を木のお盆に塗ってゆくのか、その時の動きには迷いが微塵も見られませんでした。迷ったら刷毛の跡が残ってしまうので商品にはなりませんから一筆書きのように一刷毛で塗り切ってしまうのです。迷いのない、安定した静かな動き、そこから均一に漆が塗られていく様子を見ながら、その動きとともにいるだけで自分も悟ってしまったような気分になったのです。

 

迷いと人間、昔っからの仲良しの友達みたいです。迷い方に、上手い下手というのはあるのでしょうか。下手に迷っている人が多いように思うのです。迷うことは大事だとは言っても、ただ迷えばいいというのではないはずです。うまく迷わないと迷路の中に入ってしまい抜け出せなくなってしまい、人生を辛いものにしてしまいます。ではどうやったら上手く悩めるのでしょうか。要領よくというのは違うように思います。きっと自分だけで悩んでいるのがよくなくて、人に相談するのが最良の道です。人に相談できたらもう安心です。人に頼るのではなく、人に相談できるというのは自分ができているということだからです。自分が他人に相談するのです。人間の貴重な成長の姿です。

現代はコミュニケーションのためのツールは発達していますが、コミュニケーションそのものは浅く狭くなっているようです。何がいいたいのかというと、孤独な人が多すぎます。一人で悩んで迷路にハマってしまった人で溢れているのが現代社会です。私の勝手な推測ですが、社会全体の学歴は高くなったし、情報もネットを介して豊富になったのに、自我が見えないのです。肝心の自我が置き去りにされてしまったのです。

ゲーテのファウストの最後は象徴的です。悩みは自分一人では解決できないものだと言っているのです。他かの助けがあって天上の世界に登って行けるのです。ゲーテの言葉だと、永遠の女性的なものです。

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