モーツァルトの誕生日へ、そしてカール・バルトのモーツァルト。

2021年1月27日

若頃はモーツァルトの音楽を浴びるほど聞きました。5歳の頃のピアノ曲K1番から最後のレクイエムK626番までほとんど全部を聞きました。そのときにモーツァルトの伝記も併せて読んでいました。モーツァルトの伝記はたくさんあります。一つ読み、しばらくしてもう一つと時間をかけて読み重ねていきました。一人の人間について書かれている伝記です。ところが観点、文章のスタイルが伝記を書いた人によって随分違うのに気がつくと、ますます面白くなって気がついたら本屋さんで買えるものはほとんど読んでいました。作品解釈も千差万別でした。

そういうことでモーツァルトはまずは素晴らしい音楽家なのですが、私にとっては伝記の面白さ、そして伝記を通して作品解説の多様さを学ばさせてもらった人でもあります。

今はもう伝記としてはなにも読みませんが、時々手にする一冊の本があります。カール・バルトのモーツァルトです。これは伝記とは言えない、でも何かというとうまく言えない、けれど素晴らしい小冊子です。

カール・バルトは音楽家ではなく、音楽学者でもなく、プロテスタントの神学者です。とても高名な神学者で、プロテスタントの信者さんならみんな知っているほどの人です。神学の専門書は難しくて素人の私には歯が立たないものですが、彼のモーツァルトは、モーツァルトが彼の心の中でどのように生きているのかが手にとるように伝わってくる文章で、短い小冊子なので、今までにも繰り返し読んだのですが、何度読んでも飽きない不思議な文章です。

彼はプロテスタントの神学者です。ところがモーツァルトはカソリックだったのです。ですから同じキリスト教でも信仰が少し違うのですが、カール・バルトは初っ端から、死んだら一番先に会いたいのはモーツァルトだと書くのです。この一節を読んだだけで、カール・バルトがどのようにモーツァルトを聞いていたのかが手に取るようにわかるのです。

色々な伝記を読んだ後にカール・バルトの本に出会ったのも良かったと思います。一番最初が彼の本だったら、なんていい加減なことを書くんだと腹を立てていたかもしれません。

たくさんモーツァルトの伝記を読んだことはその後の読書生活にも良い影響を与えています。とにかく一人の人について何人もの考えを聞くのです。一つの作品に関しても同じで、こうも聞けるんだ、ああいう風にも聞けるんだと、読むたびに色々な発見があったもので、それが色々な見方をするという訓練になったのでした。

 

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