方言と標準語

2021年2月14日

言葉にはメロディーがあります。ずいぶんしつこくその事は言い続けています。言葉が意味を伝える道具であると思い込んでいる現代は意識がそこに向かわないのでしつこく繰り返しています。

言葉からメロディーを奪ったものがあるような気がします。それは合理主義的知性です。人間が知的になったことが言葉からメロディーを奪い取ったのです。言葉が意志や感情と結びついていたら、言葉はもっとメロディーを持ちリズムがあり躍動的なものであったでしょう。

 

スイスは四つの言葉があります。日本人には想像がつかないですが四ヶ国語全部が国語です。スイスフランス語というのがありますが、フランスのフランス語とちょっと違う程度です。イタリア語も似たり寄ったりです。レト・ローマン語はスイスにしかないので比較ができません。スイスで一番話されているのはドイツ語です。しかしスイスのドイツ語はドイツ人が聞いてもわからないドイツ語ですから、スイスドイツ語として全く別の言葉のような扱いを受けています。

スイスドイツ語は地方色丸出しの世界に類のない方言言語なのです。学問的には、スイスドイツ語はドイツ語が中世から近世に話されていた言葉をそのまま受け継いでいると説明します。という事はスイスドイツ語は正確には方言ではなく、ドイツ語が中世・近世の言葉から現代の言葉に変化するときの、置いてきぼりを食ってそのまま喋り続けたと言える、博物館的な言葉と言える珍しい言葉なのです。

スイスドイツ語の特徴は抑揚のあるメロディーで、リズムも単調なというより付点があるような揺れるリズムで、日本であえて例えれば東北地方の言葉に近い言葉です。

一つ例を挙げてお話しします。お昼時の会話です。もうお昼したと誰かが訪ねたとします。標準ドイツ語で、もう食べたを「イッヒ ハーベ ショーン ゲゲッセン」と言います。同じ事をスイスでは「イ・ハ・ショ・カー」となるのです。字面を見ればなんとなく共通性を見ることができますが、耳で聞くだけだと全くわかりません。

置いてきぼりを食ったスイスドイツ語から察することができるのは、昔のドイツ語は今よりずっとメロディーが豊かで、リズムもメリハリが効いていたということです。ドイツ語が現代の標準語になる過程で、メロディーとリズムを放棄したのです。確かに知性が登場してくるのと並行しています。

 

私の狭い言葉の経験からして、現代標準語が世界の言語の中で最もメロディーとリズムを持たない言葉です。ドイツでは標準語という言い方をしません。方言言葉から抜け出て、一段高いところにたどり着いた言葉という言い方をします。つまりhigh、ドイツ語でhochなのです。ドイツ的には言葉が方言を抜け出して高みに達するとメロディーもリズムもない、無機質な言葉になるのです。

バッハの音楽の誕生にドイツ語のこの方言を克服して、一段と高いところに至る言葉のプロセスが影響しています。だからでしょうか、ドイツ人はバッハが大好きです。近代音楽の父であり、好きを超えて、バッハが唯一の音楽家という人までいるほどです。音楽が方言的なものを克服してhigh,hochになったと考えているようです。

しかし言葉が方言を克服したという言い方は正しいのでしょうか。方言と標準語を比べると方言の方が直接的です。標準語は説明のための言葉なので、アナウンサーの言葉は心を揺さぶる言葉ではなく、天気予報や今日の出来事を報告するのに適してはいても、聞いている人の心に直接働きかける言葉ではありません。言葉が方言性を失ったとき、言葉に死が訪れます。言葉は死んだのです。標準語は言葉の死体です。

私は東京生まれで、一応方言のない人間です。そのために方言に憧れます。若い時青森を旅行して本屋で高木恭三という郷土の詩人の本を買いました。「カカごとぷたらいで、吹いだあどの藪こいで、表さではれば、まんどろだお月様だ」と詩人自身が読んだソノシート(薄いビニールのレコード)がついていて、何度も聞いて真似をしてワクワクしたものです。最近では気仙沼の聖書もCDで聴きながら、感動していました。「天に増します我らがお父ァま」と聞くと心が揺れます。

 

しかし標準語まで来てしまった言葉をどうしたらいいのでしょうか。メロディーからもリズムからも見放されてしまって、まるで孤児のようです。今更元には戻せません。標準語に愛情を注がなければならないのでしょうが、言葉への愛情とはなんなのでしょうか。私は詩ではないかと思います。標準語になる前に言葉はまず韻文から離れました。そしてさらに方言から離れた今、言葉に命を注ぎ込めるのは詩です。

散文詩が切望されているのかもしれません。言葉が蘇生するのは詩を読む時です。しが散文を生きたものに変えます。詩を読めばまた歌が始まるかもしれません。新しい歌がです。

なんだか楽しみになってきました。

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