ラジオのこと

2021年2月19日

今時ラジオなんて笑われてしまうかもしれませんが、ラジオが好きです。

視力に問題があって(右が2.0で左が0.1)、そのため画面を見るということが苦手で、テレビには馴染めなかった記憶があります。かといって子どもの頃はラジオも一家に一台でしたから、番組の取り合いでした。ですから中学の頃に小さなトランジスターラジオを買ってもらった時の喜びは格別でした。夜布団の中で一人で聞いた時は人生に異変が起きたぐらい嬉しく、夜は早く布団に潜ってラジオを抱えて深夜まで聞いていたものです。深夜放送が始まったのもその頃からだと思います。

ドイツに来てからも短波放送(話通じていますか)の入るラジオを買って、日本から毎日一時間送られてくる短波放送を聞いていました。これもインターネットの普及で10年くらい前に廃止されてしまいました。天気が悪い時は電波がうまく飛ばないのかよく聞こえないこともありました。こんなふうにして、いろいろな不便を感じながら当時は世の中の出来事と繋がっていたのが今は懐かしいです。

 

ラジオとテレビとを比べると何かが違います。

ラジオにはまだ文化の香りが残っていると感じるのは私だけではない様です。ではなぜテレビにはそれがないのか。

私の祖父は横浜生まれの横浜育ちですから生粋の浜っ子です。明治23年(1890年)生まれです。当時の横浜は港町であったため東京よりも珍しいものが先に入ってきたそうで、東京の大学にいった時、東京が田舎に感じられたと言っていました。テニス場もあり、野球も「ベイス」と呼んで既に小さい頃からみんなでやっていたそうで、92歳で亡くなるまで大の野球ファンでした。

祖父は野球がテレビ放送される様になってからも、ラジオで実況放送を聞いていました。「テレビの野球放送はつまらない」、「ラジオで聞いている方が野球が見えるんだよ」が口癖でした。子どもの私はおかしなことを言うと思っていましたが、今にして思えばなかなか鋭い指摘だと感心しています。同世代の人から「ラジオで聞いた広沢虎三の講談はよかったよ」、「話が見えたからね」と言われたこともありました。

 

映像がない方がよく見える、と言うのを私も体験したことがあります。友人が海外旅行にゆき、帰国してからすぐに訪ねてきてくれて、たくさん珍しい土産話を聞きました。とても楽しいひとときで、別れ際に「写真ができたらまた来るから」といって帰ってゆきました。後日写真を持ってまたやってきて(当時写真は、現像して、ネガに起こして、それを焼き付けるので時間がかかります)、お茶をしながら写真を見ました。写真好きですから、手塩にかけてできた一枚一枚を丹念に見てゆきました。とてもよく撮れていたのですが、前回話を聞きながら私が勝手に想像した風景の方が遥かに美しかったのです。もちろんそんなことは口に出して言わなかったですが、今にして思うのは、人の話というのは映像を生み出し、それは写真による情報以上のものだと言うことです。

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