みんなに挨拶をしたいのです

2012年9月13日

今の世の中、残念ですが、他人だらけになってしまいました。

道で通り過ぎる人に声をかけたら怪しまれてしまいます。

でも、すれ違う人みんなに「コンニチワ」くらいのことは言いたいものです。

 

私としては道行く人に声をかけたいのです。

町の人通りの多い大通りを歩いていても、公園で散歩する人にすれ違った時もです。

山の中で登山の人とすれ違う時も、向こうから人がやってきたらいつも挨拶をしたいのです。

怪しまれてもいいから挨拶くらいはしたいと思っています。

 

講演会のときも同じです。話しを聞いていらっしゃる方の顔を、必ず一度は見ます。

二百人くらいの人の数なら問題なしです。

じろじろ見るわけではないですが、瞬間の対話くらいは成立しています。

向こうから反応があることもあります。

実は、聞いている方たちの表情に励まされているのです。

そしてその表情がわたしの話しの中身を作ってくれていると思っています。

 

デュッセルドルフを歩いていた時のことです。

その町は日本人が沢山住んでいて、ドイツにある日本のコロニーと言われているところです。

日本が経済的に活気のあった時に比べると少なくなったとはいえ、今でも七千人とも八千人の日本人が住んでいます。

ですから、町を歩いていると、至る所で日本人にすれ違います。

珍しいことなので私としてはどうしても声をかけたくなります。

日本人同士、外国の空の下で生きているのだからと思うのは、昔の考えです。

今は日本人と思って声をかけて来る人に気をつけなさいと言うそうです。

一緒に町を歩いていた友人からは、「仲、頼むから道行く人に声をかけるのを止めてくれ」と言われてしまいました。

とても淋しかったです。

 

挨拶がわたしたちの中から無くなってしまったら、人間、他人同士になってしまいます。

いまの社会は他人の集まりになってしまったということでしょう。

大きなお盆に、ガラスのビー玉を沢山並べてぐるぐる回している様な感じです。

お互いに関係のないビー玉同士がぶつかりあっています。

みんな他人ということなのでしょうか。

 

沖縄に行った時、久高島に行きました。

そこではみんなが「コンニチワ」と、島の観光客に過ぎない、他人の私に笑顔で声をかけてくれました。

小学生くらいの子どもも自転車に乗りながら「コンニチワ」と嬉しそうな声で挨拶をしてくれました。

挨拶をされるということがこんなに素晴らしいものかと久々に感動したのを思いだします。

その人たちに受け入れてもらえた様な気がしてとても幸せでした。

 

社会が他人の集まりになったら、挨拶は勿論話し合うことすらなくなってしまいます。

ドイツでは隣に住む人と問題が生じた時は直接話さずに弁護士を通して話します。

自分の言葉で、自分の気持ちで人と話すことができなくなってしまったのです。

お互いの力で話し合って問題を解決するなんて飛んでもないことなのです。

他人同士では、弁護士を通さないと話し合うどころか喧嘩もできないのです。

 

このままでは人間も社会も干からびてしまいそうです。

ニコニコと挨拶のできる子どもたちを沢山作りましょう。

それも教育の課題の様な気がしています。

 

 

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