芸術の楽しみ方 好きになるという神秘

2012年9月14日

芸術の楽しみ方をお話しします。

音楽にしろ、絵画にしろ、文学にしろ、好きなものを聞いたり見たり読んだりすることです。

 

しかし好きを見つけるまでが大変です。

不思議と嫌いはすぐに見つかりますが、好きは難しいです。

ぐずっている子どもに「じゃあ何がしたいの」と聞くと解らないものです。

 

好きというのは他の人が手本にならないものです。

自分に責任が帰って来るというのは大袈裟ですが、自分しか知らないことです。

いずれにしろ好きな音楽、好きな絵、好きな文学は私たちの大きな喜びです。

心を解放してくれるということでしょう。

私たちは好きな物を目の前にしている時、解放された存在です。

 

芸術は頭で考えたら価値が見えなくなります。

偉そうなことを言っているわりにはなにも解っていないのです。

ただただ受け入れるというところが味噌です。

ぼんやりと信じ切って、好きなものに浸る。

そこから非常に充実した時間が生まれます。

 

芸術史は苦手です。

確かに学問が言う様に、時代の中で様式などが変化していると思います。

そしていろいろに影響し合っていることも解ります。

芸術を芸術としてみたいだけです。

芸術を学問したらなんだか芸術に対して申し訳ない様な気がします。

 芸術が持っている今という貴重な瞬間が消えてしまいそうだからです。

 

それは芸術本来とは無縁です。

芸術作品が生まれるところは説明の届かないところだからです。

説明できたと思うのは、驕りです。

芸術が解ったというのも同じ様に驕りです。

 

では芸術にどの様に接したらいいのでしょうか。

はじめに言いましたように私たちの好きという感情を大切にすればいいのです。

好きになると、心を開きます、そして頭は空っぽになりますから馬鹿になります。

馬鹿になって初めて芸術の世界を受け入れるのです。

そうして初めて芸術の世界に触れることができるのです。

 

この馬鹿になることは今の時代、許されていないものです。

賢いことがいいことですから。

みんな賢くてなんでもよく知っています。

しかし賢さは自分を縛ります。

知っていてもいいんですが、それに縛られないことです。

知識から解放されなければなりません。

ところがなかなかなれません。

ここに教育が随分加担している様な気がします。

 

芸術はどんなに学問されても闇の中に置き去りにされたままでしょう。

理屈では割り切れないものが山ほどあるからです。

好きになるところからしか始まらないものがあるのです。

好きになる、これは相当深い神秘です。

 

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