リーダーシップ

2021年2月28日

コロナによる社会的変化は潜在化していたものを明るみに出す働きがあるようです。盛んにコロナ後の社会のリーダーシップのことに関する動画がアップされているのもその影響かもしれません。特に多いのは経営的なものなので、結局は経済社会がこれからも続くことを期待しているのかと少し落胆します。

舵取り役はどんな状況でも必要なものですが、社会が混迷すると重要性が一層増します。そこで有能なリーダーが望まれるのでしょうが、望んで現れるものかどうか、私は疑問視しています。そういうリーダーは歴史的にみてあまり幸せな社会をつくつてこなかったのではないかと記憶します。

 

日本は今ままでリーダーに恵まれていた国なのでしょうか、それともリーダー不在の国だったのでしょうか。政治家を見渡せば、特に戦後の政治家達は後者ではないかと思います。

若いとき、リーダーという言葉を耳にすると、革命を引っ張る人と勘違いしていたことがあります。何かをけしかける人と思い込んでしたのです。

日本は政治家にはリーダーが見当たらなくても、宗教家に時々大型リーダーが教祖として現れます。日本と宗教は切り離せない絆があります。それゆえ政治のことを政(まつりごと)というのですが、そもそも政治というのが宗教的な祭り事として行われていたことを意味しているのかもしれません。

従って西洋的な意味での政治というのは、特に民主主義はとってつけたような実態のないまま棚上げされたものでした。舶来品は舶来品です。

民主主義はもともととても難しい制度です。私は、理屈ではどうにでもいえると思っていますが、民衆が主となる政治なんて現実には、実現不可能な机上の空論だとずっと思っていました。

フランス革命を学校の歴史の時間に習ったものと、大人になって深く知りたくて調べてみえてきたものとを比べると、全く別物だったように、理想化された民主主義と現実の民主主義の間には、天と地の違いがあります。理想を餌に民衆を拐かす学者や政治家の罪は相当深いはずです。

 

リーダーシップ論とよく似た帝王学というものがあったとは知っていますが、実際にそれに触れたことはありません。どんな内容なのかも又聞きの又聞きなのでうすらぼんやりです。

現代のリーダーシップ論は帝王学のような身分による選別はないようで、平たくいえば誰もがリーダーになれるものです。現実にリーダーというのは、人の上に立って、既にある組織をうまく切り盛りするということよりも、いざというときにとんでもない発想で事態を切り抜ける人だと思っていますから、状況の中から生まれてくるものなのかもしれません。

とんでもないことをするというのがリーダーの条件なので、リーダーは政治家タイプ、マネージャータイプの人というより、むしろ芸術家タイプの人のような気がします。反対意見をものともせずに押し切ってゆくということでもあります。たこが高く登るのは逆風が強い時です。

 

どんなリーダーがコロナ騒動の後生まれるのでしょう。国のリーダーよりも、経済界のリーダーよりも、小さな集まりの中で心のリーダーが欲しいです。そういう集まりの中で方向性を示せる人が出てくれれば、そしてそういう集まりが増えて、力をつけてゆけば、大きな流れが生まれるような気がするのですが。

本当のことはいつも小さな運動から始まっていたような気がするのです。

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