ものづくりの基本

2021年11月7日

二番目の息子の奥さんの父親は非常に手広く活躍した建築家です。75歳ですから、大学の方は退職し、建築事務所の方も娘さんに半分は引き渡しているので、現役のバリバリとは言えませんが、リタイヤーしているわけではなく今でもぼちぼち活躍していると言えます。
シュトゥットガルトに本社があるベンツの博物館の内装を始め、同じくシュトゥットガルトを本拠地としているポルシェの博物館の内装も彼の設計で、それを機に世界中のベンツ博物館のポルシェ博物館の内装を手掛けました。中国、韓国でも作っています。
彼の願いは日本で仕事をすることなのですが、彼曰く「日本には優秀な建築家がたくさんいるので、俺の出る幕はないんだ」ということです。でも日本贔屓ですから、何度も日本に行っていて、その度にたくさんいいものを買ってくるので、「日本にゆくたびに貧乏になってしまう」ということです。
最後の大きな仕事はベルリンのオペラハウスの大改造の責任者として見事なオペラハウスを、音楽監督を担当したダニエル・バーレンボイムと共同で仕上げました。

何が言いたいのかはこれからです。
その彼はなんでも自分でする人だというのが今日の話の本題です。
掃除・洗濯・裁縫・料理等々、自分でやることと決めているのですが、別に「男でもできるのだ」と気負っているわけではなく、ごく普通に、淡々とやっているのです。料理に至っては本職顔負けの腕前ですから、一度食べたらまた食べたくなるほどのものです。
なぜ彼がなんでもする様になったのかがなかなか面白いところです。
例えば、建物の内装を設計するときに、彼は必ず掃除をどうするのかまで考えるわけです。あるいは自分でカーテンを縫ってみると、仕事としてカーテンを考える時、材質、柄などを自分て決められるのです。建築というと建物を設計する人というイメージですが、彼はきめ細かに、使う人の立場から、掃除をする人の立場まで考えてものづくりをしているのです。パイプの煙を燻らせながら色々なことを淡々と話してくれます。ものづくりの精神は結局は一つなのだと彼と話をしているとつくづく感じます。

ある時、有名建築家が設計した家に住んだ人の話を聞いたのですが、実に悲惨な話でした。外からの見栄えはいいのですが、使い勝手の悪さからすると「最悪」なのだそうです。
階段ひとつにしてもデザイン階段ですから登り下りには全く向いていないということでした。台所とお風呂場の水の流れが悪く何度も水漏れにあったとか、雨漏りまであると聞いた時には、設計士は何を考えて建物を作ろうとしているのかと首を傾げてしまいました。

ものづくりは無意識に哲学をしていると思うことがあります。
哲学は、今日では学問ということになっていますが、実は学問などではないものです。学問にして学問に非ずと言ったらいいと思います。ただ哲学者というと、苦虫を噛み潰したような難しい顔をしているイメージですが、内面では考えることを楽しんでいるのです。
哲学から遊び心がなくなったら、それはもう合目的に辻褄を合わせているだけですから、実用のための思考で哲学ではありません。さらに哲学にはユーモアが欠かせません。
真剣に考えるのは哲学にちょっと似た神学系です。ここには遊びがなく、ユーモアもなく、殺風景です。

ものづくりをしていると、何を作るかなんてどうでもいいのです、作るという時、大真面目なのに遊び心が鍛えられていると感じます。この遊び心がないと作ったもに喜びが感じられない様な気がします。真面目だと、自分で作ったものを「これでよし」とは言えないでしょう。旧約聖書の創世記で、神様が地球を作ってゆく時に、色々とできたものをみながら、「これでよし」というのですが、神様も実は懐が深くユーモアも遊び心もある様です。

最後に個人的なことを言います。
食事はあれこれと講釈、解釈が並べられたものを食べさせられると、体に入った時にずっしりと重くなって疲れてしまいます。今までに何度も経験しています。
反対に作る人が真剣にでも楽しんで作ったものはふわっと軽みがあり、思わず「美味しかった」と言ってしまいます。

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