気になる上から目線

2021年12月14日

知るものは語らず、語るものは知らずという老子の言葉、いつも肝に銘じています。
この考え方からすると、上から目線はもっての外の困りものです。
私にはこの上から目線が今の社会の中心にあるように思えて仕方がないのです。
社会的発言をする人は、政治家だけでなく子どもでも大人顔負けの上から目線ですから、聞いていて疲れます。
しかも上から目線には大抵内容がないと決まっています。

自分を使者だと思い込んでしまうのでしょうか。
天の声に導かれての発言なのでしょうか。
いずれにしろ、高飛車な上から目線は社会をギクシャクさせます。
この上から目線、大抵は根拠がないだけに余計困りものです。
しかし民衆を導くためにはそうした姿勢で民衆に向かわないと民衆はついてこないのも事実です。
穏やかな口調では牽引力がないので、少しくらい高慢な態度が求められるのでしょう。

この目線は、どことなく非人間的と言ったら言い過ぎでしょうか。
もしかしたら悪魔の仕業かもしれないと思うことがあります。
悪魔は悪魔っぽく現れることは絶対になく、善人らしい振る舞いを見せるものです。
しかも善人振る舞いの優れた才能があり、非常に長けているので、なかなか見破れません。
そんな中で、悪魔を見破るためのものが一つあります。
それが視線です。目線です。
悪魔たちは上から目線しか知らないので、たとえ善人を上手に振る舞ったとしても、そこには上から目線だけは残ってしまうのです。

上から目線の正体は、天の声などではなく自惚れです。
自惚れは悪魔のおこぼれですから、これを磨いてゆくと立派な悪魔になれること請け合いです。
上から目線の背後にはいつも自己正当化というもう一匹の悪魔が潜んでいますから、ますます厄介です。

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