またまたムラについて

2022年7月21日

ムラというのは「力まないこと」、「向きにならないこと」に通します。

ですからまだまだお話しすることがあると思います。

 

和紙を作る際に「真っ白」のかみというのは極めて特別な紙で、和紙の素材である楮(こうぞ)に付着している汚れををとことんまで洗い落とし綺麗にすることで作られるからです。今日のパルプ紙はそうではなく「漂白」するだけで、白い紙はできるので一番安い紙ということになります。

同じ白い紙といってもそこには雲泥の差のあります。

和紙に色染めすることもありますが、そこでは斑(まだら)にならないように気をつけます。ムラは漢字で書けば斑ですから、斑、ムラは失敗作の代名詞です。

しかしこのムラは味方を変えれば躍動感を生み出すものなので、ムラについて考える価値があると思うのです。

前回のムラについての文章の最後で、人間は善と悪の斑、ムラという言い方をしました。もし人間が全一元的存在だとしたら、退屈極まりないものでしょう。もちろん悪一元も同じです。この混ざりが人間というものなのだと考えての発言でした。般若心経で「色(しき)」と読んでいるものです。

 

ドイツの詩人、ノヴァーリスの言葉に、世の中が悲惨に混乱している時にこそ喜劇が望まれているのです、という言い方をします。いつも不思議でならない言葉です。ここでいう喜劇は面白おかしいということとは違うと思います。ましてやドタバダ喜劇でもないでしょう。深い意味のある喜劇なのでしょうが、複雑で込み入った喜劇は喜劇で無くなってしまうので、どこに焦点を合わせたら良いのか悩むところです。

喜劇は人間の馬鹿に通じると思っています。世の中に混乱を起こすのは大抵は「利口な人たち」です。彼らによって巧妙に仕組まれた複雑な問題は、利口な人たちのごもっともな方法では解決がつかないということなのでしょうか。かえって問題を拗らせてしまうかも知れないのです。

昨今の世界情勢を見ているとまさに喜劇の登場が待ち望まれているようです。天下の大馬鹿がそろそろ出てくるのだろうか。いや、出てきて欲しいものだと思っています。

ただ、こんな時に「喜劇を上演しよう」などと言い出したら、不謹慎だと真っ向から反対され、四方八方から攻撃の矢が向けられるでしょう。難しい顔をして真剣に、(真剣なふりをしてでも)問題に取り組まなければならないのです。その姿を見るだけでお腹が痛くなってくる私が「今こそ喜劇を」なんて音頭を取ったら、「不謹慎だ」、「不真面目だ」、「茶化すな」「死んでしまえ」と身も心も粉々にされてしまいます。ですからとりあえず「ノヴァーリスが言った」という盾を用意し、身を守りました。でも心の底では「お利口さんの作った考えに偏ったら、世の中と正面に向かい合うことはできなくなってしまうものです」と考えていますから、今の世の中に蔓延したお利口さんが作り出した一面的な見方だけでも笑い飛ばしてみたいくらいのことは考えています。

今の世の中お利口さんの巧妙な手口で凝り固まってしまったのです。人間の体で言えば肩がバリバリに凝ってしまって頭が全然機能しない時のようなものです。それが社会的な規模で起こっていると言って良いと思います。因果はめぐると私も考えています。たとえ社会的規模であっても原因はどこかに潜んでいるはずです。ただ社会問題の原因というのはすぐには見えてこないのが普通です。問題を起こす人たちが賢いお利口さんたちだからです。所謂ホワイトカラーの犯罪で知能犯だからです。

それでも原因はどこかにあるはずです。相当の知能犯ですから、のこのこと正体を表すことはありません。社会的常識からは見えないところにあるものです。ジャーナリズムのプロパガンダによって見え亡くされたものを暴き出すのには、信じられないかも知れませんが喜劇的センス、心の余裕、つまりユーモアが必要なのです。

 

ムラに戻りましょう。ムラには躍動感が潜んでいます。日本文化が一見「ムラ」と縁遠いように見えるのは日本文化の基調が「静」だと考えられているからです。しかしただ静かというのとは違い、静の中にも「動」が潜んでいることは日本人なら知っています。日本文化は「黒」を派手と感じるようなところです。この感性から黒はケバケバした「派手」ではない静かな「派手な」ものなのです。

今までここでムラと言ってきたムラは西洋的、特にイタリア的なものかも知れません。表に出ている見えるような躍動感です。しかし私は秘めた躍動感というのもあるはずだと考えています。秘めた「ムラ」です

日本的「ムラ」について考えてゆきたいのです。私たちの課題は日本的「ムラ」、表面的に見えないところの「ムラ」の発見だと思います。「静」の中の「動」です。

知性で凝り固まった社会をほぐせるのはこの手の「ムラ」かも知れないと考えるのです。

推しむらくは、私たち日本人がその可能性にあまり気づいていないようなので、まずはその辺りから掘り起こしてゆく必要がありそうです。

 

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