存在としてか、それとも機能としてか

2023年1月25日

名刺交換なんて日本人の癖のようなものかと思っていたら、昨今はドイツなどでもよく見られる光景になっています。名刺に書かれている肩書きの内容が力を発揮するようです。それは日本もドイツも役職です。現職もあれば、元何々もあれば、名誉職もあります。そして書かれている数でどれだけ社会に貢献しているのかを示しているわけですが、名刺いっぱいに役職が書き込まれているのを見ると目が眩んでしまうこともあります。

名刺からは偉い方なんだと察しはついても、その人がどんな人なのかは分からないところが名刺社会の面白いと言えば面白いところです。

役職と為人(ひととなり)は違うものです。そこのところを私ははっきり分けてみています。一人の人間の人間的な魅力というのは見えないですから、自分の五感でその人をしっかり感じて確かめるしかありません。着ている物なども参考になりますが、着こなしのセンスの方で、ブランド名ではありません。

人間としてわかりやすいのは、機能している部分です。社会の中でどのように機能しているのかは大切なものです。若い時にはそれが目標になったりします。しかし一つの会社を長年にわたって勤め上げて、定年になり、今まで友人だと思っていた同僚が、単なる仕事仲間に過ぎなかったなんてこともあります。年を重ねると、人間は機能ではなく、その人の魅力は他にあることに気づくのです。ただ存在していることが素晴らしいと言えそうです。

私はハンディーを持った人たちと十年間一緒に過ごしていました。寝たきりの子どもに何ができるのかと問う人はいません。何もできないことが分かりきっているからです。ただ世話を受けるだけで、周囲に対して、社会に対して何もできないと思われています。しかし私は原因不明の病気のため寝たきりの男の子を通して一つの発見をしました。当時ドイツは兵役があって、男子は一年ほど軍隊に入って訓練を受けるのですが、希望すると病院や、老人ホーム、さまざまな福祉施設で奉仕活動をすることができました。私のところにもそうした軍隊を拒否した若者がいつも一人はいました。なんの経験もない十八から二十二歳くらいの青年が毎年やってきたのです。手のかかる難しい子どもたち、ボーダーラインの子どもたちの世話というのはは初心者には難しいものです。そこで大抵は全くの初心者には寝たきりのお子さんの世話をするという仕事が与えられます。食事の時に食べさせてあげたり、お風呂に入るときに入浴係の人の手伝いをしたり、散歩に行ったりと言った仕事でした。

そんな仕事でしたが、続かない人は続かないもので、やめて他の施設に代わっていったりしたものですが、一年を通して、そのお子さんの世話をした若者が施設を去る時には、いつも涙のセレモニーがあり感慨深いもの感じていました。

青年たちは、施設にやって来た一年前と、施設を去って行く今日とでは全く違う人間になっているのです。彼らは一年間何も喋らない寝たきりのお子さんの世話をしていただけです。極めて単調な仕事ですが、寝たきりのお子さんにも僅かでしたが表情がありましたから、会話とまではゆかないまでも、情が通うほどのコミュニケーションはとっていたのです。一年を黙々と仕事して、今日清々しく去って行く青年たちは、別れの瞬間に必ず号泣するのです。それを見ていつも思うのは「何もできない寝たきりのあの子が毎年一人の青年の人生観を変えて行くのだ」ということです。それも確実にです。親が、先生が、どんなに説教しても子どもというのは何も変わらないものです。それなのに寝たきりの、何もできないと思われている子が、毎年一人の若者の人生を、人生観を根本から変えてしまうのです。一体何が若者の人生を変えたのでしょうか。その寝たきりの子どもに名刺を作るとしたら、役職をなんと書いたら良いのでしょうか。

 

 

 

コメントをどうぞ