2021年2月8日
ある歌の歌詞が思い出せない時に、歌詞だけを辿ってもうまく思い出せないという経験は多くの人が持っていると思います。メロディーと一緒に歌詞を口ずさむとすらすらと出てきます。
例えば故郷の歌詞は「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川。夢はいまもめぐりて、忘れ難き故郷」と棒読みするとどこかでつかかります。歌えばすらすら出てきます。
歌が歌詞とメロディーとが組になっているのでそうなるのですが、メロディーの方が歌詞よりも記憶に強くインプットされているのでしょうか。
どの言語でも詩は歌われたものでした。日本では詩とは言わずに歌と言いいます。三十一文字は和歌です。その昔は長歌があってそれについて反歌が詠まれたのが今の和歌の前身です。年の初めの歌会始ではそれぞれの歌は朗々と節をつけて歌うように詠まれます。時代により、また詠み手によって多少の違いはあるようですが、こうした口伝的なものは意外と古い形が温存されるものなので、ずっとこのように詠まれてきたと考えていいと思います。
日本の長歌、和歌、俳句、川柳は五七調から成っています。この長さから生まれるアクセントを竹の節に例えたのでしょう。他の言葉はもともとメロディーを持っているようで、例えばヘブライ語はアルファーベートがそのまま楽譜なので、すぐに歌えるということです。旧約聖書は歌ったのです。
宗教の聖典は詩で書かれています。その言葉特有の韻律を持っています。言語学的には、韻律の方が記憶に深く入り込むからだということです。記憶しやすくなっているのです。古くは聖典はただ読むのではなく歌い、しかも暗唱したのです。
そんな中でキリスト教の聖書、新約聖書は初めての散文による聖典ということで画期的な出来事なのです。ということはキリスト教の聖典、新約聖書は歌われない初めての聖典ということになります。新約聖書は純粋に読み物なのです。もちろん修道院では暗記が修行でしたから、修道院の庭の回廊を歩きながら読んで暗唱していたのです。
音楽し的にはここで画期的なことが始まります。散文になった聖書から、言葉に従属しないメロディーを考案することができるようになったと考えている学者もいます。それが新しい音楽を生む要因だったというわけです。ヨーロッパに発達したした宗教音楽にはそのような背景があります。聖書の言葉を音楽家の自由な発想で、好みのメロディーをつけて歌っても誰も文句を言わないのです。ベブライ語で書かれた旧約聖書では、メロディーは言葉の方で決めていたので、新しいメロデイーを一人の音楽家に任せるということは不可能だったのです。
なぜ散文が聖典の中に入り込んできたのでしょうか。韻文で書かれていた時代には、聖典は歌うなり踊るなりと肉体的な動きに還元されました。コーラスのギリシャ語はコロスで、輪踊りという意味ですし、バラードも歌踊りという意味ですから、韻文的聖典の風習が残っていたものなのですが、新約聖書からは、読み物に変わり、踊る必然性は消えてしまいました。私はここにキリスト教から生まれた開放を見ています。別の観点からは知性偏重が生まれたかもしれないと見ています。その意味では、誤解を覚悟していうと、キリスト教は知性に訴える宗教と言えるかもしれません。それ以前の、韻文からなる聖典を持つ宗教とは別の要素が加わったということのようです。
歌詞を思い出す時にメロディーの助けが必要だというのは、私たちはまだ言葉の中に韻文的な力、メロディー的なものを温存しているからだと言えるのかもしれません。
これは方言と標準語との間にも見られる現象で、方言の持つ豊かなメロデイーは標準語が形作られるプロセスで失われてゆく傾向にあります。これは日本語だけでなく、ヨーロッパの言語を見ても明らかです。私は他の言葉に疎いのですが、きっとこの傾向はほとんどの言葉に言えると思います。標準語はある意味で無表情だと言われても仕方がないのですが、標準語には知性と結び付きやすい特性があります。宮沢賢治が多くの詩を初めは標準語で作り、後で方言の要素を加えたことはよく知られています。彼はこの二つの特性をよく知っていて、上手に使い分けていたようです。
2021年2月8日
このところシューベルトを別にすると結構ハイドンのことを書いています。今日はハイドンは「竹の如し」という個人的な印象の報告です。
竹を割ったようなという言い方があります。真っ直ぐな人、正直者、曲がったことの嫌いな人を竹の性質に擬えたものです。並行した直線的な繊維の竹を割いた時に生まれる真っ直ぐな形から来ています。茶道で使われる茶筅(ちゃせん)などは自然界のものとしては竹以外のものからは出来ない、竹の特性を活かした工芸品です。
ハイドンの音楽は、この竹のようです。曲がったことが大嫌いな人のようです。竹細工からは美を究めた工芸品が数多く作られていますが、素材としての竹はまさにシンプルな直線です。ハイドンのシンプルさはこの竹
ハイドンと比べると、純粋と言われているモーツァルトですらちょっと捻くれ者に見えることがあります。ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナーとますます捻くれ者になってゆくようです。ではハイドン以前がみんな竹の如しの音楽家と言うと違います。バロック音楽は結構ひねくれています。バロックという言葉が「歪な真珠」という意味ですから、当時もすでに歪で曲がりくねっていると感じられていたのです。中でもバッハは相当のひねくれ者だと睨んでいます。それに引き換えヘンデルは竹を割ったようなきっぱりとした、ハイドンの良き先輩とでも言ったらいいようところがあるような気がします。
ハイドンは今日的な意味で芸術的とは言えない音楽家です。極端ない言い方をすれば雇い主の注文に応じて音楽を作っていたとも言えます。頭でコネ回している時間的余裕がなかったことが幸いして、音楽を生み出していたのです。思考的音楽でないと言うのは、ハイドン以降は価値のない音楽に等しくなりますから、ハイドンへの畏敬の念は失われてしまいました。音楽が思考の産物になってしまうと、音楽に打算が入り込んでいるように思えてなりません。素直さを失います。直接的にではなく回りくどいものになり、説明するもの、解釈するものに変わり、理屈の世界の嗜みになってしまいます。
心が素直な時に人間は何をするかと言うと、歌います。歌を口ずさむ時の自分を思い返してみてください。鼻歌でもいいのです、心は晴々として、屈託がなく、素直です。歌は心の一番素直な表現です。歌の歌詞は簡単なものほど心地よく、難しくないものに限ります。歌詞が理屈っぽくなると歌心は霞んでしまい、意味ばかりが目立つようになり、理屈の嗜みになってしまいます。
シューベルトの音楽は特に歌の中で竹を割ったような潔さがあります。彼の詩の選択は学者たちからは全く評価されていないもので、二流の詩人からのものが多いいと酷評されています。しかし歌の本質である、歌のメロディーと伴奏のマッチングは、精妙な竹細工が持つ美しさそのものです。単純な竹籤から絶妙の工芸品が作り出されるのです。歌とメロディーはお互いに関わり合いながら一つの世界を作り上げますが、実は二つの要素は驚くほどバラバラで独立しているのです。シューベルト以外の歌を見ると、伴奏はメロディーに寄り添っているものです。歌と伴奏がお節介に、必要以上に絡みあっていることがあります。歌と伴奏がこんなに別々のことをやっていながら一つのものとしてまとまりを持っていることはないのです。シューベルトは竹を割ったように、歌と伴奏の世界を二つに裂くことができ、それを竹細工のように組み合わせながら伴奏付きの歌と言う工芸品に仕上げるのです。これは音楽と詩に分かれた西洋音楽が再び一つに結びつくと言う離れ業だと言えます。西洋音楽は新しい未来を授けられたことになります。竹細工氏シューベルトの偉業です。彼は竹細工氏のハイドンの後釜と言えるのかもしれません。
2021年2月7日
今日(二月六日)は昼過ぎから空が黄色くなってしまいました。夕焼けにはまだ早い時間の異様な空の色でした。時間にして午後三、四時間は続いて、そのあとは暗くなってしまいわからませんでした。後で、サハラ砂漠から砂が風に乗って来たためとわかりましたが、空全体が黄色に染まったのは初めての経験でした。朝から空はどんより灰色に曇って霧が深く、少し離れた場所は見ないほどでした。そこに砂埃が混ざったために起こった現象でした。近くの霧のかからなかった山間部では積もった雪の上に黄色い粉がかかった珍景色でした。
サハラ砂漠の砂というのは、よく目にする砂場の砂や浜辺の砂などを想像すると大間違いで、比べられるのはうどん粉です。砂と呼ぶ次元のものではないのです。その砂がアフリカのサハラ砂漠からアルプスを越えてドイツにまで飛んできたのです。そこにノルウェーからの寒波のために発生した霧が混ざって黄色い空をつくる、自然の雄大な遊びです。
このサハラ砂漠はヨーロッパからの旅行者が絶えない人気スポットなんです。ドイツに来てから長いこと聞いたことがなかったのですが、ある時私の知人にも何年かに一度はサハラ砂漠詣でをするのがいるのでそのことを知りました。彼は色々なところを旅行しているので、他の旅行話は聞いていましたが、サハラ砂漠に魅せられていたとは。ビジネスで成功して一日十何時間も働いている仕事の虫からすると、全く次元の違う時間と空間がサハラ砂漠にはあるので、命の洗濯には持って来いなのだということでした。
ここからはその友人からの又聞きです。夜空を見れば信じられない量の星があるし、植物の生態、オアシスなど知識で知っていることがことごとく裏切られるのだそうです。そんな話の中で、洪水で死ぬ人の数が半端でないというのを聞いた時には耳を疑ってしまいました。しかし雨が降ることがほとんどないので備がなく、一旦雨になると大洪水になってしまうのだそうです。最高の体験は砂嵐だということでした。砂嵐になると人知では砂を防ぐことはできないらしく、車などは嵐の後は中まで砂だらけ、いや粉だらけになってしまい、掃除が大変だそうです。都会的に密閉された窓は砂漠では全く役立たずのものになるそうです。
砂漠で一番驚くのは、清潔だということでした。人間がきてゴミを出してゆくのでそういうものが時々目につくだけで、自然としての砂漠は清潔そのもので、自然の偉大さを目の当たりにするそうです。文化生活の中では砂埃などは迷惑なだけのものですが、その砂の本場が文化生活以上に清潔だというのには驚きます。人間は進歩した、進化した、文明は発展したという基準はどこにあるのでしょうか。
ゴミの量でしょうかと皮肉ってみたくなります。