声の発見 その三

2013年1月18日

 声と言うのは人柄そのものです。

声の精神性などと大袈裟な言い方を前回はしましたが、声というのは単に体から生まれる響きでなく、その人の内面、人柄、人格というものがその中に入って響いています。

ここのところはとりあえずは「その二」のところで説明できていると思います。

 

声というのは精神化された響きです。

言霊もこの考え方の延長にあるものでしょう。

声は音の仲間ですが、普通の音の様に物理的な現象として見るだけでは十分ではないと言うことです。

ここが理解できれば、一般に言われている発声練習が一面的な訓練だということが解ると思います。

声の魅力はもう少し複雑なもの、そう言っていいかもしれません。

内面からのバックアップが、心のあり方、心の持ち方が大事です。

 

簡単に言えば心が暗い時は声も暗いし、心がうきうきしている時は明るい声をしています。もちろんハイになっている時には上ずった声です。ですから声を聞けばその人の心の状態が解ります。

心の状態だけでなく、声にはそれ以上のその人の人柄が響いています。

ここが私が声という時に大切にしているところです。

 

自分のことと声のこととが、ここで重なるのです。声から自分へと、と言うことです。ところが自分とは言っても、自分というのは正直解らないものです。

自分で思っている自分、自分で思いこんでいる自分、自分で願っている自分は、自分の中の自分です。とても主観的です。

他の人が見ている自分と言うのは違います。外から見られた自分ですから、内側の自分だけを知っているだけだと、他の人が自分のことを言っているのを聞かされる時にギャップを感じます。

「あなたってこういう方だから・・」

こんなことを耳にして驚いたことはありませんか。聞いている内容は、自分が思っている自分と全然違う評価です。

自分が客観的に見られる様になると、自分を他人の目で見られる様になると、自分が思っている自分と、他の人が見ている自分とは近づいてきます。

 

録音された自分の声を聞いたことがある方は経験済みだと思いますが、録音された自分の声はいつも自分が聞いている声とは違います。何人かの人とおしゃべりをしている時に誰かがいたずらに録音してしまったとします。

それを聞いてみると、他の人の声はいつも聞いている声なのですぐわかるのですが、自分の声だけは解らないということが起こります。なんとなくキツネにつままれた様な感じです。それだけでなく、更に、自分の声を聞いていると恥ずかしいと言う何とも言えない不思議な気持ちにさせられます。

 

何故こうなってしまうのか。それは自分の声を自分で聞いている時には、外で響いている声に自分の体の中で響いている声も一緒に聞いているからです。録音できるのは外で響いている声だけで、他の人の声は外で響いている声を聞いていますから、録音してもいつも聞いている声ですが、自分の内側の声は録音できていませんから、録音器から聞こえて来る自分の声は半分しか録音されていないので別の人の声に聞こえるのです。

 

 

こんなことを心に刻んで声に就いての実践的なことを見て行くことにしましょう。

具体的に声をどうしたらいいのでしょうか。

声をよくしたい、これは声の事を知らない時に言えることで、声のことがすこし解ってくると、違う観点で声を考える様になります。ここからが大仕事です。

声はよくならない、そう考えてください。

 

自分の声をなんとかしなければと思い立った人が、声のことで人に尋ねると、困ったもので百人百様の答が返って来ます。

お薦めする方法は、先生になってほしい人の声を聞くことです。

初心者とはいえ声のことに興味を持ったという段階で、自分の好きな声、自分が求めている声くらいは見当がつくものです。

そこで友人なりに紹介された先生を訪ねるのです。そして直接その先生の声を聞いてください。同時に、人柄も感じながら

「この先生に習ってみたい」

そう思ったら、その先生にお願いすればいいし、

「こんな声はいやだ」

そう思ったらまた新しい先生を探せばいいのです。

すぐに解らないこともあります。

その時は三回ほど授業をさせていただくようにお願いして、その先生のレッスンが自分にあっているかどうか決めればいいと思います。

自分に合わない先生に就いたことで、却って声を壊してしまったと言う人は意外と多いのです。特に音楽大学では生徒は勝手に先生を選べなかったりして、それで無理が生じ、その挙句声を壊してしまうのです。

 

声はとても繊細なものです。このことは何度言っても言い過ぎることはないと思います。

声を作るのに大切な器官は声帯です。声帯と言うのは人間の体の中で特に繊細な筋肉だと言われています。

そこに無理がかかると、負担をかけ過ぎると声はすぐに出なくなりますから、この点は気をつけなければなりません。

 

声と声帯はとても密接な関係ですが、声帯で声を作るものではありません。声帯を空気が通る時に声になります。ですから声帯を鍛えるとかいう考えは禁物です。

では声は何によってつくられているのでしょうか。

次回このことをお話しします。

 

 

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