声の発見 その六

2013年1月23日

喋るというのは声に意味を包み込んでいる、そう言える様な気がします。

そしてたいていの人はそう考えていると思います。

伝えたいのは意味ですから、「何が言いたいのか」が大事です。

そうなるとここでのテーマ「声」は単なる道具と言うことですから、どんな声でもいい、声なんかどうでもいいということになってしまいます。

 

コミュニケーションを学問的に分析している人たちがいます。

その人たちの研究成果を見た時、意外な結果が出ていて驚いたことがあります。

相手に言いたいことが全部伝わったとします。

そこで働いている力を三つに分けて調べていました。

一つはその人の人柄、人格

二つ目はその人の声

三つ目は伝えたい意味内容の三つです。

 

私が以外な結果と言うのは、意味内容が相手に伝える力になっているかと思いきや、それは一割にも満たなかったからです。

一番大きな働きは「その人の人柄」です。五割を占めています。

残りは声で四割以上です。

 

こうしてみると喋っている時にも大事なのは意味よりも声の方だということです。そしてそれより大事なのはその人そのものと言うことです。

病院などでも医者と患者の関係を調査しているものがありますが、患者さんが信頼を置いているのはお医者さんの人柄です。そしてその次がお医者さんの声です。お医者さんの専門的な腕とか診察結果よりも、患者さんはそちらの方を重要視しているということなんですね。

 

現代社会特徴です。社会生活から声が消えて行っています。メール、SMSでは声は聞こえません。

言いたいことだけを書き、それが世の中を闊歩しています。情報も同じです。

そこで何が伝わっているのか、先ほどのコミュニケーションの調査結果を鑑みると、ぞっとしてしまいます。

何も伝わっていないのかもしれません。

 

声のない社会は今確実に生まれつつあります。でも悲観するばかりではしょうがありません。

あまり楽観してはいけないと思いますが、人間はいつも新しい時代を作って来ました。

これから来る「声のない社会?」の中でのコミュニケーションがどんな形のものとして出てくるのか、とても楽しみです。

 

私は私でいろいろと考えてみました。

考える参考になっているのは、声の実態は一体何かということです。

声は聞くものだから音響だと思っている人が多いと思いますが、声というのはもっと別な働きを持っています。動きとして人間同士で感じ合っているのです。

声は動きとして受け取られています。動きだということです。声を聞くと体が動いているのです。これは筋肉の反応を電気で感知したりして実証済みです。

そして声はただ意味を伝える道具ではなく、聞き手に動きをもたらしています。その動きは聞き手の体の中で深い深層を刺激します。

声を聞く、それによって、わたしたちの深いところに眠っているものを刺激しているということです。

声には、時には深みから明るみに呼び起こすこともあります。

 

よく講演の後で私のところにいらして、「講演を聞いていて、今まで思いだすことがあまり無かった昔のことが出て来ました」、とおっしゃる方がいます。私はテーマとしてそのことを扱っていませんから、話しの内容、意味的なところから思い出につながったのではなく、声を聞いていて昔の思い出が刺激されたのだろうと思っています。

でもそれは私の場合だけでなく、案外日常生活の中でも起こっていることなのではないか、そんな気がします。

声の力と言うのは、そういうことで、普通考えられている以上のものがあるのです。

 

いい声を聞いていると元気になります。

歌い手さんの声がいいと、私は声に包まれて幸せです。声の方がはるかに歌の善し悪しよりも直接私に訴えて来ます。

私は声を聞きに音楽会に行きます。

芝居でも演技はあまり見ていなくて、声を聞いていることがあります。

その方がよく解るからです。よく見えるからです。

声は実は見えているものだということも言っておきます。

特に小さな子どもたちは、周りの大人たちの、親や先生の声を見ているのです。

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