通訳してみませんか

2013年6月8日

ドイツに行ったばかりの、まだ勉強をしていた時のことです。

沢山日本から見学、視察にいっしゃいましたから、通訳を頼まれました。

今思えば学生の頃のドイツ語の力なんてたかが知れていますから大してお手伝いできていなかったのではないかと思っています。

その後も何かにつけて頼まれ、頼まれればいつも二つ返事で引き受けました。

 

その後の外国語生活して解ったことがあります。

自分の言いたいことを言えるようになるまでも時間がかかるものですが、それよりも相手の言うことをしっかりと理解できるようになるのは、それ以上時間がかかると言うことでした。

自分の言いたいことを言うと言うレベルには、辞書をひいたり、参考書を見たり、文法を整理したりとしながらだんだんと近づいて行けます。言葉の好きな人にはとても楽しいプロセスです。ここを楽しいと思えないと外国語には近づけません。

しかし相手の言っていることを正確に理解すると言うのは全く別の次元の話しです。他の人の言っていることなんて毎日の生活の中では案外いい加減に聞いているものです。聞きながしていることがほとんどです。夫婦喧嘩の一番の原因です。

 

通訳のお手伝いをしながら、相手の言っていることを何処まで理解できるのかの練習をしていました。

どんな話しでもいいのですが、相手が何かを言っている時、解りましたかと聞かれて、解った時は、「はい解りました。」と答えます。しかしよくよく考えてみると「・・・わたしが解りたいように」ということです。

つまり、相手の立場になって理解しいるのではなく、たいていは身勝手な解釈です。

これではいけないのです。

 

建て前としてはみんな知っています。

でも案外他人事です。

「あいつは人の話しを聞いていない」とぼやく人ほど他の人の話しは聞いていないものです。

 

そんなことにある時気が付いたのです。「人ごとじゃない、これは自分で実践しなければいけない」

 

言葉の意味は辞書に出て来ます。

でも、その人が何故その言葉をその状況で使ったのか、他の言葉でも言えることをわざわざその言葉で言うというのは何か理由があるはずで、その痒いところにはなかなか手が届きません。

そこまで行かないと本当は相手の言っていたことも理解していないのです。

ところがその理由は辞書を調べても出ていません。(辞書を作る方がいたら、是非これからの辞書にはそういうところも説明している様なものを作っていただきたいものです。そんな辞書作りならぜひ協力したいと思っています。)

そんな風にして通訳のお手伝いを楽しくしていました。相手の考えていることだけでなく、相手の意思まで通訳してみようと言う程の意気込みでした。

 

通訳をすると言うのは相手の言っていることを一端自分の記憶の中にプールしなければなりません。

同時通訳はその必要がありませんが、同時通訳には、即通訳という高い緊張があり、神経もですが体力が必要で、一時間を三人で分け無ければ続かない程のものです。通訳というのは目に見えないところで相当の体力を消耗しているものなのです。

普通の通訳のときに記憶にプールするとは言うものの、同時通訳とは比べ物にならない程ですが、やはり体力は必要です。ずっと覚えておかなければならないのですから、非健康的なことです。

それも原因で今は通訳のお手伝いはお断りしています。

 

その代わり最近面白い発見をして新しい通訳を始めました。

自分を通訳するのです。自分というのは自分が一番解っていると言うことになっていますが、そんなことは無いと言う経験が何度かあって、自分は一度自分で自分のために通訳しなければならないのではと思う様になったのです。

昔取った杵柄で、自分の意思まで通訳してみようと最近は頑張っています。

新しい通訳の仕事です。

読者のみなさんもやってみてはいかがですか。

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