バランス、それは中庸であり自我

2013年6月9日

「バランスが大事」

このことをたいていの人は薄々でも感づいているので、とりあえずは知識として、情報としては行き渡るっている考えと言っていいと思います。

ところが「バランスってなんですか」という話しになると、だんだん自信が無くってしまうところがあって、そこまで行って初めてバランスの持つ深さに気付かされます。

 

そもそもバランスというものがあるのは、二つの異なったものが無ければなりません。

昼と夜のバランスと言うのはどうでしょうか。

昼と夜とは全く違います。昼は明るく夜は暗いですから、一目瞭然です。

二つの異なったものなのですが、実はこの二つ、そもそも一つであることから生まれた二つでなければならないのです。そうしないとこの二つはお互いにかかわれないのです。

赤の他人同士が電車の四人がけのボックスに座っている様なものです。お互いに迷惑なだけです。

昼と夜はもとをただせばある一つのものから生まれています。一日です。それと光です。

昼と夜は光と影によって生まれるものですが、光にはそもそも影は無く、光一元と言う言い方がある様に、光は光だけなのです。影は物体に当たることによって初めて生まれるのです。

光の中に存在している一日、これが大本、親です。

でもこれは頭の中だけで存在しているもので、実際には、物質からできている地上では、絶対に起こらないことです。

 

ドイツの文豪ゲーテはこの光と影とが作り出す緊張をプリズムを通して色、色彩として理解していました。

般若心経の色即是空も、色として見えているものはそもそも一つだと言っています。

 

バランスに話しを戻します。

「地球の自転によって昼と夜とが生まれます」という説明では不十分だと言うことです。

そもそもは一つであったところに話しを戻さないと、バランスの持っている本当のところは解らないのです。

 

ありがたいことに人間にはバランスを感じる能力があります。

感覚能力ですから、鍛えないと失われてしまいます。

洞窟などの真っ暗闇の中に迷い込んだ魚は、光を見なくなったことでしばらくすると目を失うのです。

バランスをどう鍛えるのか、昼と夜をしっかり生きることです。昼活動して、夜は寝る。

夜寝ると言うことをもったいないと感じ人は、バランスの持つ意味がわかっていない人です。

もう一つ例を出します。

善悪のことです。

これもバランスです。

一方に善があり、もう一方に悪があるのです。善と悪とをしっかり生きることです。

そしてその大本、親があるのですが、それをなんというのかはみなさんで考えてください。

 

正しい正しくないと言うのも同じです。

正しいを振り回す人がいますが、自分で正しいと思っているものは自分にとって正しいだけのことです。

自分の常識も相手にからすれば非常識ですから。

自分と相手というのもバランスの問題です。

自分と相手と別れているその上があるのです。

人間は自分と相手に分けられたのです。

自分のことばかり言っている人は、バランスを崩していますから病気です。

他人のことばかり気にしているのも病気です。

 

夫婦の間で、自分のことばかり他人に押し付けているのはバランスを崩した人のすることです。

自分のことしか言わない人もバランスを感じていないのです。

これも病気です。DV、家庭内暴力は暴力だけのことではなく、自分・他人のバランスのことでもあるのです。

病気というのは今日数万種類くらいはあるらしいのですが、それは現象で、病気の原因はバランスを崩していると言うところにあるのです。

 

人間の健康を支えているのはバランスです、中庸です、自我です。

自我はしばしば間違えられて、自分を主張することに置き換えられてしまいますが、中庸として、バランとして自分を支えている力のことなのです。

健康とは、自分があり、自分で無い相手がありと言うバランスの中で、自分を解放した人が持っているものです。健康とは自分から自由になることと言うことでもあります。

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