心の動き、動きの美学

2011年10月18日

今年も日本の旅行が始まりました。

出発の日に、ドイツで飛行機から虹を見ました。

滑走路を飛び立ち、急上昇している時のことです。

朝からの雨が上がり雲間に霧状の雲が立ち込める中、朝方の太陽の光に照らされて虹が生まれたのです。

飛行機はその中に突入するような格好にになったのです。

虹は太く、色の濃い鮮やかなものでした。

百回以上飛行機を使いましたが初めての経験でした。

美しいというより、驚きの瞬間で、カメラに収める間もなく虹とはお別れでした。

 

写経的な英語の習得法は興味をもたれた方が多く、日本を歩きながら話題になったこともあります。

名古屋でホテルに宿泊している時毎朝新聞が届きました。

朝の中日新聞の連載小説は「親鸞」でした。

五木寛之さんは親鸞がやはり自分の気に入った文章を一語一句、一線一角に至るまで写し取っていたことを書いていました。

親鸞にしてもそうだったのです。さもありなん。

美しい時を書こうと努力しているところには月の神様が力を貸してくれるという話は何度か聞かされました。

私はそれを信じています。

英語を毎日書いていた時、かすかですが感じたことがあります。

 

文字を書く風習は廃れつつあります。

心の文化には欠かせないものだと思います。

文字を書くというのは、文字という線の動きに心の思いを委託するものです。

心が見える線の動きに変わります。

書かれた文字には、筆跡には、書いた人の心が読めるものです。

書家の抽象的な書もそういう見かたをすれば、難しいものではないのかも知れません。

楽器も同じです。

音の動きを聴いていると、演奏家の心が読めるようです。

日常でいえば、歩く姿はやはりその人の心を表します。

箸の使い方もその人の心の無表れでしょう。

今日、昼食の時、近くでうどんを食べている人がとても苦戦しているのが気になりました。

あんな箸の持ち方で、ということなのですが、今は日本の若い人たちの箸の持ち方は、給食というシステムの中で見事に壊されてしまいました。

しかし考えるに、本当に給食制度だけで片づけていいのでしようか。親は子供に何も伝えないのでしようか。

下手な箸の持ち方からろ、心の緊張のようなものが伺えます。

心が物とか人とかに出会う時心は緊張しているのでしょうか。

相手の心の様子をつかむのは心の箸だと思うのですが・・。

 

みんなに小器用な人間になってほしくないですが、心の箸が相手の心をつかめないようでは困るのです。

箸文化が崩壊してしまいましたから、せめて文字を書く文化は残ってほしいと思います。

文字の形の美しさだけではありません。

それを生み出す動き、心のむ動き、その美しさです。

動くことの大切さです。

動くことの本質です。

動きは文化の大切な一つです。

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