蓼食う虫も好き好き

2013年7月4日

好い楽器と言うのは音楽家にとってはのどから手が出るほど欲しいもので、そのために家を売る人だっている程ですから、そこが理解できない人にとっては、馬鹿な話と言うことになります。

音楽なんてもともとまともな人間がするものではないと言う考えもそこにはあるのかもしれません。

楽器は時間が経てば値段が上がるから、株よりも銀行利子よりも確実だと買っておいて、銀行の金庫にしまって措く人がいます。そういう人は、楽器ではなく絵とか彫刻とかにされた方がいいと思います。楽器は弾いていないと音が鈍ってしまいます。響かなくなってしまいますから、古い楽器が好いと思っている人も、どの様な状態でその楽器があったのかをよく見極めないと、飛んでもないものをつかまされることになります。

古着は前の人の想念が宿っているから買わないと言う人がいます。古い楽器も同じ様なところが無いわけではなありません。前の人の弾いた音が始めはするような気がします。それが楽しいと思えるかどうかです。おニューの新品が好いと言う人もいますが、私は木が音となじんでいると、きそのものが落ち着いていることもあり、古い楽器が好きです。

 

ライアーはたかだか米寿ですから、古い楽器と言っても戦前のものは相当修理が必要です。

私が持っていた1965年の楽器、アルトライアー、を先日ゲルトナーさんのところで、1950年製のアルトライアーに変えました。私より一つ年上の楽器です。

楽器が痛んでいたこともあり随分修理されていますし、弦も新しいし、ニスも新しく塗られているので、今のところは古い音と言うよりもしっかりリニューアルされた楽器と言う感じです。とても軽い音がするのにびっくりしています。でもしすがな響きです。これは私にとっては何よりも大事なところで、今回手放した楽器は静かは良かったのですが、音に芯が乏しい様な気がして来て、何か好いのがあれば取り換えたいなぁーとゲルトナーさんにお願いしていたのです。

これから弾き込んで行くと、木とニスがなじみ、弦と木がなじみ、私と楽器がなじんできます。一体どんな音になるでしょうか。楽しみです。勿論この楽器はしばらくすると先ずは私が欲しい音になって行くのだと思います。これはわたしという個人の問題と言うより、楽器が持っている宿命です。

 

テクノロジーの世界では日夜進歩が続いていますが、楽器の世界と言うのはテクノロジーとは違う様なところがあり、日夜進歩しているとはいえないようです。

特に弦楽器の弦の傾向はクリアーな音です。音楽の好みから来るのでしょうが、クリアーイコールいい音と言う迷信的な考えも見られます。

ライアーにも若干そんな傾向を感じます。

ライアーのいい音を初代のゲルトナーさんはどんな風にイメージしていたのでしょう。

先日その初代のゲルトナーさんの覚書を見せていただきました。イメージされた音をそこから見つけてみようと思っています。

そんなことがあって、今はひたすら、古い、渋い音を探しています。そしてそれをできるだけ多くの人にお勧めしています。

ライアーへの考え方が変わります。音楽への感じ方が変わります。

音楽って言うのは楽器から教えてもらうところもとても大きいのです。

 

 

 

 

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