タイの庭

2013年7月12日

日本の庭についての文章を書いたことがきっかけになって、世界には他にどんな庭があるのだろうと気になりだしました。

そこで早速本屋さんに足を運んで庭の本を探したのですが、ガーデニンクの手引きは大小混ぜると幾十冊書架に並んでいるのに、私が知りたい、庭のこと、民族の象徴としての庭、庭の精神といったまどろっこしいものを手際よくまとめた本は見当たりませんでした。

シュトゥトガルトの中でも一、二を競う様な大きな本屋さんでしたが、店員さんは申し訳なさそうに「欲しい本が見つかったら注文しますのでおっしゃってください」と言って去って行きました。

本は人に紹介されてどうしてもそれを読むというもの以外は、やはり手にとってみないと納得して買えないものなので、その足で古本屋さんに立ち寄ることにしました。

アート、建築の本がありそうな一角にしゃがみこんでいろいろと物色していると、タイの庭の様式という写真がふんだんに載っている厚での英語の本があり、珍しいこともありましたが、綺麗な本で気に入って、入手して読んでみました。

 

南アジアの熱帯地方は自然の種類が違い、熱帯植物の楽園ですから、原色に近い花の色です。空の色も違い、太陽の光から生まれるコントラストもはっきりしていて、ここに居たら人生が変わるにちがいありません。写真を見ているだけでエキゾチックな雰囲気に呑みこまれてタイの一角に自分がいるかの様な錯覚を覚えます・。

その本に紹介されていた庭はここ数十年の間に作られたものが多く、植物に関してはタイでしか見られない熱帯植物に溢れたているのですが、庭づくりの精神という角度から見ると、何がタイの特性なのかは読み取れませんでした。詳しく読んで解ったのですがそれ等は中国、日本の庭園造りからの影響が濃く現れているものでした。

私たちがイメージする様な庭というものはそもそもなかった様です。始めての庭はヨーロッパからのキリスト教の宣教師が作ったものとその本には書いてありました。やっと17世紀になってのことです。それ以前は庭はというのは寺院に植えられた樹木のことでした。

宣教師らが始めてタイで外の自然と隔離された空間を作ったのです。ヨーロッパ語の庭の語源は、「囲むことから来ています、ドイツ語ですとeinfrieden、庭はeingeriedigter Raum」ですから、自然と一線をひいた独自の空間を作ろうとしたのではないかと想像しました。きっとそこに彼らの好みを盛り込んで、中世の修道院の庭の様に、タイで育つ野菜や、ハーブを育てたのでしょう。

 

庭は、自然を取り入れて独自の自然空間を作ることと呼んでいいのかもしれません。

庭作りの楽しみはそこです。そして庭に育つミクロな自然、小自然と対話することで人間は「何か」をそこからえたのです。何故それが囲われなければならなかったのかは、人間の意識がそれを求めたとしか言えない様です。

庭には対話の精神が、自然との対話という贅沢な要素が含まれていて、四季折々の花、その土地にしか育たない植物に囲まれながら体験する自然との対話が、庭いじりの醍醐味だということです。

そしてそこで大事なのは手入れなのですが、人間生活においても対話は実はお互いに相手を手入れすることなのではないかと言う気がします。この手入れですが、だいたいやりすぎてしまうもので、人工的なウソっぽいものになってしまいますから、作為的になりすぎない事、自然を作りすぎないということを通して、自然の中に生きている見えない自然から生きる力を受け取るのです。日本人はそれを自然、ジネンと呼んだのでしょう。自然への畏敬と言っていいのかも知れません。庭の本質は対話に通じ、対話の基本は畏敬に通じているようです。

コメントをどうぞ