続・思春期 その四 優しさの秘密

2013年7月16日

人付き合いを見ていると他人との距離の全く無い人がいます。他人の家にずかずか入って行く様な人です。

自分の考えをそのまま人に押し付ける人もいます。逆に人に依存する人もいます。

どちらも同じところから来ていて、そのもとになっているのは自立していないことです。

自立と言うのは、自分は自分、他人は他人と言う冷たいものではなく、思春期の自分に向き合うというプロセス、あるいは自己否定という辛い状況を通って始めて生まれるものなのです。

自立しているというのは、他に興味がないというのではなく、逆に他への関心は自立しているから生まれるのです。

自分は自分、他人も自分となると問題です。

 

さて信頼のことをいろいろと考えていて、それを書きとめておくと、後で読んでみると、とても説教臭いのが気になります。さらりと信頼のことを書けないものかと、昨日は悶々としました。結局信頼とは何なのかと何度も自問しました。

信頼は難しい問題ではない様な気がします。現実には私たちは信頼の上に多くのものがなりっているのですから。

そこに気付けばいいということでしょう。信頼と自立はとても近いところにあるものです。

 

自然信頼と思春期的否定のプロセスを通り抜けた成人の信頼には大きな違いがあります。何時までも自然信頼の中に居ると幼児と母親の様な信頼関係を引きずってしまいます。自然信頼を否定したうえで新しい信頼を探さなければならないのです。大人になるとは、自立するとは、自分が信頼できるものを探すということです。

友人、パートナーと言うのはこの新しい信頼を探すプロセスの中でえられるものです。

「この人と友達になりなさい」、「この人と結婚しなさい」と親から押し付けられて「はいそうですか」と言うのは今の時代は通用しなくなっています。

元服という儀式もよく似ています。

成人したことを社会的に認める儀式ですが、その現代版が成人式ということになるのかもしれませんが、外から成人したと認められたのです。

成人した、自立したというのは誰が決めるのかと言うと、社会的には法律です。18歳になれば成人したということで、なんでもできる様になり、運転免許、結婚と自分の判断でしていいのですが、責任も全て自分で負うことになります。

しかしそれも外からの認証です。

その人が内面的に自立しているかどうかはその人の発言、行動を見ないと解らないのです。

自立した人は優しいです。これが決定的だと思うことがあります。

人間の優しさは性格的なものとみられていますが、私は人格的なものと見ています。そしてこれは能力です。

この能力を鍛えるためには、自分としっかりと向きあい、自分をたっぷり否定し、そこから勇気をもって新しい信頼を見つける中から鍛えられ生まれるものです。

他人に冷たい人は自立していないからなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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