英語の文法と日本語の体言止め

2011年12月8日

英語に限らず、文法とどの様付き合ったらいいのだろう。

文法を苦手と断言する人は実に多い。

文法に関しては日本語でも大嫌いという人も意外と多い。

だから難しい文法の話しは避けよう。

 

英語に関して言えば、一番の基本文法は「I am」だと思っている。

これさえしっかり押さえていれば、大丈夫。これが中心になって、言葉の面白さはどんどん広がって行く。

ところが「I am」なんて知っています、とそこを中途半端にすると、その先どこまで行っても中心点がないままぐるぐる目が回る様な展開をすることになる。

これりで英語が苦手、嫌いという病気に陥る。

ちなみに I am を訳してみよう。

「私が」とやっているようでは中心点は作られていない。

答は「わたしは存在している」です。

英語というのは、「ものがどう存在しているか」を述べてるのです。

I am a boy/girl は「わたしは男として、女として存在している」ということです。

過去形というのは、この存在が過去のことである時に出て来るのです。

未来形というのは敢えて言えば「ある」ですが、だいたいは推測しているだけだと思っていい。

そして現在形というのは何かと、いつも同じに存在しているということです。

太陽は東から昇ります。これはいつも現在形で出てきます。誰かが地球の軸を変える様な事でもあれば「昨日は東から昇っていた」、と過去になる。

現在行われていることは現在進行形です。

I am eatimg というのは、今「やっていること」を述べています。

それは現在形では言えないのです。

I eat と言えば、大袈裟に言えば、「私は食べる存在である」となるでしょう。

ということで「私が存在している」ということを、心の中でしっかりといえれば基本ができたということです。

そこから英語へのスタートが切れるのです。

 

最近気が付いたのは、英語には「-ing」という形がすこぶる多い。

ドイツ語から英語に来ると、これが実に扱いにくい。

英語では一言で「-ing」として言えるものが、ドイツ語では簡単には行かない。

改めて接続詞を付け、ていねいに副文構造を取らなければならないのだから、それはそれは鎧兜を付けた様に重たくなってしまう。

ドイツ語に訳された英語は実に読みにくい。

そのためだったと気が付いた。

ヘミングウェーはドイツ語で読まないこと。

しかし日本語にはよく似たものがある、とこれまた気が付いた。

それが「体言止め」という方法だ。

俳句などではしきりに使われている。

いや体言止めができなかったら俳句はこれまで発達しなかったはずだ。

「ふるいけや、かわずとびこむ、みずのおと」というのを見てみよう。

「蛙飛びこむ」、「水の音」ということで二つとも体言止めとみることができる。

そして意味はというと、とりあえずは「蛙が飛びこんで」そして「水の音がした」となる。

しかしこれが過去だということは言い切れない。

解釈次第では、つまり「かわずが飛び込んだとしたら」と読んで、そのあと「水の音がするだろう」と推量未来にもなる。

体言止めにしろ英語の「-ing」という動名詞、実は動詞の名詞化だから、体言化ということで体言止めということになる。

そして体言止めは、いろいろな可能性を暗示している。

書く人たちは暗示しておいて、残りは読者が読みとる。

英語に体言止めがあったと気が付いてから、なんだか英語が親しみやすいものになった。

なんだか兄弟の様な気がしている。

更に一言、中国語というのは、全部体言止めの様な言葉の様な気がするのですが・・・、違いますかね。余談でした。

ドイツ語から英語に入って行くと、動名詞が、どうにも厄介なお荷物になってしまうので苦手だったが、今は解放された気持ちになっている。

ドイツ人は英語は簡単だと言い切るが、ちゃんと理解するのは英語の方が難しいと、日本人の私は感じている。

ドイツ語は言ったこと、書かれたことしか理解する必要がないのだから。

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