木曜版 4 笑いの正体、笑いへの招待

2014年4月25日

出来れば一生笑って過ごしたいものです。これからは少なくともそう心がけたいです。

笑いに溢れ、自然に笑いが迸り出るような時は幸せです。笑いは幸せの規準かもしれません。

また幸せな時にはつい顔がほころんできます。

苦虫噛み潰したような顔しているより、いつも笑いを浮かべている人、笑い顔の持ち主のほうが幸せな楽しい人生を送っていると思います。笑顔は周りの人を安心させるからでしょう。

 

笑いは心から屈託なく笑うのがが一番ですが、望ましい健康な笑いばかりではないようです。

非健康な笑いもあります。あざ笑う、苦笑い、これらは社交的には失礼な笑いでお互いに深く傷つきます。毒々しさがあり、避けたい笑いです。心から笑うのが本来の笑いで、その時笑いは熟していて、美しいです。

ここに挙げた二つは頭で笑っている笑いと呼んでみます。笑いとしては醜く、貧相です。本当に笑いなのかどうか疑ってしまいます。もしかしたら笑いに似た偽笑いなのかもしれません。

熟していない笑い、半生の笑いです。

 

笑えば心の思い(重いもの)は解放されます。心から笑えなければ駄目です。笑いが熟していることが大事です。

現実には重い思いは笑いを差し押さえてしまいます。思いが重くなるのは思いこむからです。思いというのはいつも心の中を風の様に通り過ぎて行くのですが、思いこむ、一つの思いにとらわれてしまうとその思いは通り過ぎて行かずに留まってしまい、沈殿して行きます。一つの思いにとらわれる時に考え始めるので、思いこむというのは考えることです。思考の始まりです。

少しは考えたらどうか、バカも休み休み言え、生きているうちに頭は使うものなどと言って、考えることはいいこととしてふつうは言われています。確かに思慮深い人は優秀な人と見られます。眉間にしわを寄せて居る人のほうが笑ってばかりいる人より信頼されそうです。

しかし考えるということは、初歩段階では迷路の中を堂々巡りしてしまいます。考えれば結論が出ると思いがちですが、初歩的な思考は結論を導き出すところまで行かないものです。勿論人生が矛盾に満ちていて、人間の思考力では解決が付かないものだけだからということもありますが、考えれば結論が出るというのは考え違いです。未熟な段階では、考えるというのは固めること、フィックスすることでしかなく、あまり根をつめて考えすぎると心に重いものが沈殿してしまい苦しくなって、そんな状態が続くと鬱病になります。

考える能力は成長します。熟して行きます。考える力が付いてくれば、心の中のわだかまり、こだわりを解放するためのものになります。しかし考える能力が幼いとわだかまり、こだわりに負けてしまいます。考えることに目覚める思春期にとても暗い時期があるのはそのことと関係があります。

 

笑いで見たように頭で笑っている笑いはまだ笑いではありません。未熟な笑いです。時には不愉快な毒々しい笑いです。それと同じように考えるというのも初歩的で未熟な時はかえって心のお荷物になっているものなのです。

                                   

                               このテーマ来週も続けさせていただきますので 「続く」 です

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