言葉について思うこと その一

2014年5月24日

言葉は心を浄化している、こんな言葉が脳裏を横切ります。

確かにそうだ、と思いながら、今まで言葉について考えてきたことを思い出していました。

確かにブログでも随分、言葉のことは書いたように記憶しています。

 

言葉というのを表現と書き変えてみます。表現は心のものを圧縮して押し出したり、絞り出したりすることです。

雑巾を絞る様なものといっていいかもしれません。違いは雑巾は外から絞る力が加わってくるのに表現は心が自分でするところです。何処からその力が来るのか解りません。

表現というと特殊な能力のある人のことの様に考えがちですが、ごく普通のことです。言葉を持つ人はみんな表現しているのです。表現しなかったら、言葉を持たなかったら人間は死んでしまいます。

 

心にいろいろなものが溜まってしまったとします。それを思いといいます。心が重くなるからです。思いは心が重くなった状態です。あまり重くなりすぎると心への負担が大きくなって心は沈んでしまいます。思いつめたりした時の様子から想像できます。

そこで活躍するのが言葉です。言葉にしなければならないのです。表現です。言葉にして表現して心の重さを解きはなす必要があるのです。解き離すですし、解き放すですが、それが話すということなのです。話すのは相手がいて声にする方法と、言葉を書くことで離す、放す役を果たしてくれます。

以前にピアニッシモにアルプスの少女ハイジの本を書いた女性の話しを書きましたが、彼女は結婚生活の疲れから鬱になってしまいました。その時に何度か療養に行ったことのある地方を舞台にハイジの話しを作り出したのです。心の中に溜まってしまったものが重くなりすぎたのでしょう。それを本を書くことで解消したのです。お話しの筋も興味深いものですが、それを言葉にしたということが大きいのではないかと思います。

彼女が画家であったなら絵を書いたでしょう。今まで以上に明るい絵を。音楽家だったなら作曲したかもしれませんが、彼女は言葉を選びます。丁寧に丁寧に言葉を重ねて、自分の心をそちらに向かわせようとしているのです。言葉には人間の意思に方向を示す力があります。音楽にも意志を鼓舞する力があるのですが(鼓笛隊、ブラスバンドはもともと軍隊に属しています)、言葉の様な方向を示唆するものではなくスパイラルな上昇です。大昔は鉄砲を撃つ前に太鼓をたたきました。軍隊の行進を元気づけました。音楽は心を鼓舞したのです。音楽には衝動的なものがありますが、言葉は理性的です。思考にコントロールされているからでしょう。心に方向を示します。

音楽に刺激をもらった心はスパイラルに上昇して心を解放しますが、言葉は方向を持っていて、心は言葉の示唆する方に向かいます。解りやすく言うと自己暗示です。(続く)

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