母の海外旅行 - 余裕の美

2014年8月26日

「元気なうちに、正雄の住んでいるドイツに行かなくちゃ。」八十八歳の母の一言は、意外な波紋を引き起こしました。
そもそもは、今年の二月に父が亡くなり、その後始末も一段落した時に山形に嫁いだ妹のところに行って温泉にでも浸かってゆっくりしたらどうかという妹の提案から始まりました。母曰く、
「山形は近いから、元気なうちにドイツに行かなくっちゃ。」
母にしてみれば当たり前のことを当たり前に言っているだけで、慌てふためいている周囲とは裏腹にいたってけろっとしていたそうです。
 
若い人の海外旅行ではないので、切符の手配はもちろんですが保険会社に勤めている知り合いに八十八歳でも入れる海外旅行保険はあるのかどうかを問い合わせることから始まりました。意外なことに何の問題もなくクリアーしました。
母はもともと健康な人ですから、これからゆっくりお話ししますが、肉体的にだけでなく、心がとても健康なのです、保険が掛けられなくてもいいと思っていたのですが、旅行というのは、何が起こるかわかりません。本人が元気でも飛行機事故や盗難などのことを考えると、保険を付けて旅行した方が本人が楽ではないかと思った程度でした。
足は達者ですから、今でも結構な距離を歩きます。しかし、あの殺風景でだだっ広い飛行場の中を歩かせるのは酷な事だと思い、航空券を手配する時に車椅子とそれを押してくれる人を手配したりと段取りが自分の旅行の時とは違っていました。大変と言えば今まで知らなかったことが続出したのですから大変でしたが、あっちこっちに電話をしながら一つ一つクリアーして行く中で、実に沢山の協力体制が準備されていることに驚いたものでした。そうこうしているうちに、こちらとしても、迎える準備と気持ちが整ってきました。
 
シュトゥットガルトはフランクフルトで乗り換えになるので、姉が同行しているとはいえ、乗り換え時間などのことを思うと酷なことで、フランクフルまで車で迎えに行きました。渋滞を覚悟し到着時間にたっぷり間に合う様に一時間の余裕をみて家を出ましたが、やはり渋滞があって30分遅れで飛行場に着きました。駐車場に車を入れ到着ロビーに向かう途中で到着状況を調べると、母たちの飛行機はなんと30分早く到着していて、「着陸しました」と掲示されているのです。ロスタイムゼロに思わずほくそ笑んでしまいました。
 
飛行場に向かうまでの天気は晴れで、快適なドライブでした。母と同伴の姉を付き添ってくださった添乗員さんから引き取り、持参した車いすに母を乗せて駐車場に向かう途中で天気に異変が起きました。それまでの天気からは想像もつかない激しく炸裂する雷を伴って雨が降り始めたのです。それは、一瞬の出来事でした。まるでバケツをひっくり返した様な勢いです。車に辿り着くまでの間雷は鳴り続けていました。幾つかは稲妻と雷の音がほとんど同時でしたから、相当近くに落ちた様で、耳を裂く落雷は大きな太鼓を耳元で聞いている様でした。
母は旅の疲れを全く見せずに、ガラス窓を滝のように流れる雨を見て、
「あら、いいお清めね。」と、のんきなものでした。
次の日の新聞で母たちの到着した後飛行場はニ時間発着が停止していたことを知り、母たちの飛行機が定刻通りの到着だったら別の飛行場に緊急着陸を余儀なくされていたと知り、三十分早く着いたことの持つ意味を、旅行全体を暗示するものと受け止めてしまいました。
飛行場を出る時点ではまだ雨脚は激しく、道路は川のようでワイパーは全く役に立たない状態でした。ドイツの高速道路ですが、情けないことに車はみんな50キロの徐行運転。幸い10分程で雨脚は衰え、しばらくすると雲が切れて、雲間から太陽が差す程になり、道路の水がひいて、高速道路を本来のスピードで我家に向かいました。160キロで走る車に
「新幹線みたいね。」と、母はご満悦でした。
わが家に着くと早速歓迎の夕飯。食事をしている時、家内が感激しながら、「淑子お婆ちゃんは、ずっとここにいる人の様ですね。」と言うと、母は母で
「わたしも以前からずっとここにいるみたい。」と、ニコニコしながら答えていました。
 
 
正雄が生活しているところと、孫たちをドイツで見ること。義母を訪ね、義父のお墓参りをすること。 これが母の旅行のモットーですから、観光的なものには一切興味がない様でしたが、せっかくですからシュトゥットガルトの町くらいは案内しないとと翌日町に繰り出しました。その日は朝市の立つ日で、所狭しと並ぶ花屋さんの側を通りながら、
「ドイツの花は鮮やかな色ね。」と、花の大好きな母はご満悦です。
更に沢山の野菜が並んでいる所に辿り着くと
「同じ野菜がドイツにもあるのね」と、喜々としていました。
朝市でどの様に買いものをするのかを見せるためにカブを買いました。
人ごみの中を車いすを使うのは却って行動範囲を狭くしてしまいます。歩きで朝市を見て回り、休憩のため中央教会に入り休憩を取ったのですが、二人を連れて教会の中に入ると、丁度というのか、ラッキーにも次の日のオルガンコンサートの練習をしているところで、オルガンの音が響き渡っているのです。
「まるで天国にいるみたいね。」と、音楽好きの母は堅い木の椅子に座って、目を閉じてオルガンの響きに耳を傾けていました。
 
 
 その夜は庭でバーベキューをすることになっていて、長男が、鍋奉行ならぬバーベキュー奉行となって活躍してくれました。
夜の七時半、まだ明るい中、赤々と燃える火を見ながら
「真夏に焚き火とは、さすがドイツね。」と、ご満悦。
炎が落ちて、熾きになった焚き火?の上に、お肉やソーセージ、野菜がのると、先ずはビールで乾杯。お酒にとっても強い母は
「さすがドイツのビールはおいしいわね。」と、一息で飲み干してしまいました。
 
十時を回って、ようやく暗くなる頃には焼いたものを全て食べ終わり、太陽が沈んだ後はさすがに少し寒くなってきたので焚き火?に再び木をくべて、勢いよく炎を燃え上がらせると、
「まるで火事の様ね。」と、二メートルほどの炎を見ながら、
「真夏に火が恋しいなんて。」と、どんどん火の方に近づいて行きました。
 
母は何処に居てもどんな状況でもそれに対応してしまう人のようです。子どものころから母のそうした天然の性格には、呆れたり、感動したりしたものでした。
「あなたは横山大観が描いた『無我』の絵みたいな人だ。」と、何度も言った覚えがあります。
 
母は傍から見ると苦労の多い人生でした。ところが母の口から出る言葉は
「みんな、大変なのよ。」ばかりです。
まるで、水が川を流れるように生きた、見事な自然体の人生と言えそうです。
「年とってからが幸せって、いいわね。」と、今を堪能している様です。
 
母の心の中にひらめいた
「元気なうちに、正雄のところに行かなくっちゃ。」
このひらめきによって生まれたドイツ・スイスの旅ですが、まるで母の人生の様に、一日一日が自然に豊かに流れて行きました。
スイスの旅行は娘の住んでいるマンションでの昼食から始まりました。娘のマンションには屋上があって、結構急な梯子を登らなければならないのですが、母は迷うことなく梯子に足をかけてどんどん登って行きました。
「やっぱり、屋上は、良い眺めね。昔のデパートの屋上のよう。」と、チューリッヒ湖を見下ろしながらの食事を楽しんでいました。
 
スイスでの目的地はバーレン湖です。チューリッヒから車で45分も走ると周囲はすっかり自然に包まれます。2400メートルの山に囲まれながら、
「スイスの山は日本の山とは違うわね。」と、物知り顔で、すましていました。
31年前に私たちが結婚した時にも訪れたことのあるところでしたから、懐かしさもあったと思います。真っ青な空と岩山のコントラストにほれぼれと見とれながら、時折目の前を横切って行く雲を見ながら、
「さすがにスイスね。」の一言だけでした。
滞在中、一日は雨でしたが、後は天気に恵まれ、船で湖めぐりをしたりして、スイスの太陽と空気をたっぷり浴びてスイスの滞在を無事終えたのでした。十年は若返った様で
「これからも、まだよろしくね。」と、嬉しそうに言っていました。
チューリッヒの飛行場でチェックインをしている時、切符のために機械操作をしていると、「グレードアップできますが、しますか?」というのが出てきて、どういうことかよく解らないまま、「します」をクリックして、それで無事発券の手続きが終わったのですが、出てきた切符を見てわが目を疑ってしまいました。
母と姉の帰りの飛行機の座席はビジネスクラスに変わっていて、のんびり寝ながら、美味しい機内食を食べながら、帰りの飛行機まで楽しんでしまった様です。
 

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