感情という観点から見た教育の課題

2012年6月22日

感情生活が豊かな人は、お話しをしているとすぐに解ります。

とても安定していて、いつも同じという印象をお会いする度に受けるからです。

感情の中の二つの力のバランスが取れているからだと思います。

 

バランスが人間に安定をもたらします。

知的・理性的感情と衝動的感情の間にバランスです。

私たちは意識してそれを作らなければならないのです。

 

どこで作ったらいいのでしょう。

先ずは教育の中でそれを作ることを考えなければならないと思います。

私はこの観点からシュタイナー教育をとても高く評価しています。

 

このバランスが失われるとどうなるのか考えてみましょう。

感情麻痺、感情がない状態、つまり無感情だと人間はどうなるのでしょうか。

これは知的・理性的感情が肥大して感情全部を覆ってしまう時です。

天秤の一方が重すぎて下にある状態です。

あるいは反対に衝動的感情が肥大した時に起こります。

そのときは反対側が下になります。

 

その時どうなるのかと言うと、極端な感情生活が現れます。

とても恐ろしい状態が生まれます。

「あの人は感情的に走り過ぎる」と感じる人が時々いますが、それどころではありません。

人間はその時「非人間的な行動」と呼ばれる様な不可解な行動に走ります。

 

戦争時の様な、異常な状況の下でよく見かけるものです。

傍から見れば非常に偏った感情のあり方なのですが、本人は気がついていないのです。

その時人間は自主的に行動を取るのではなく、まるで操り人形の人形の様に外からの力で操られてしまいます。

 

目に余る残忍な行動は、その理由を尋ねても答は返ってこないことが多いです。

また教条的、狂信的にあるものを信じたり、権威化してしまうのも、たいていは理由のないものです。

本人が理由と信じているものは、傍から見るとちっとも理由でないのです。

理由がない、それは無感情の始まりです。

 

それは大人げない幼稚なものです。

感情の中の二つの力は誕生まもない子どもの中ではだ分離していません。

成長の中で二つはそれぞれのものになって行き、バランスを取ることを学び始めるのです。

この未分化な、小さな子どもの感情はマグの様なものです。

子どものころはマグマの様に、二つの力が混沌としています。

幼児は知性・理性と衝動がひとつですから、まだ二つの間を測るバランスも生まれていません。

感情生活と私たちが感じているのは、実はこのバランスを見て言っています。

 

こどもは成長し、感情の二つの力がだんだんと独り立ちして、お互いに離れて行きます。

子どもの中にだんだんと感情的と言える行動が見られる様になります。

子どもが小さければ小さいほど感情的というるものが少ないのは当然なのです。

子どもは小さければ小さいほどマグマで、それがだんだんと冷えて?独自のものになって行きます。

そして独立した二つの力の間のバランスを取る力が生まれ、それを私たちは感情と感じるのです。

 

小さな子どもが何かしでかしたとします。

大人は「どうしてしたの」と一生懸命理由を聞いてしまいますが、どんなに聞いてもこ答えは返って来ません。

子どもは小さければ小さいほど、理由があって行動をとっていないからです。

この理由、別の言い方をすると根拠づけです、はどの様に理解したらいいのでしょう。

どうしてあることをするのかという根拠づけは、知性・理性的判断力と、衝動的行動力の間のバランスの中で生まれます。

 

ですから子どもに理由を言わせようと思っても、無駄だということです。

理由らしい理由は子どもにはないのです。

理由がないということは感情、バランスがないということですが、これは成人した大人が見せる無感情とは別のものです。

幼児性無感情状態、成長過程における無感情状態と言って置きます。

 

ある状況を考えてみましょう。

 そこでは感情生活が知性・理性的感情に支配されたとします。

理性の中にはいつも「正しいものがある」という意識が働いています。

ですから、知性・理性が強く働くと「絶対に正しいもの」を探し始めます。

それはいつも外にあります。

教条的、狂信的あるいは原理主義と言われるものは、理性的に走ってしまった時に起こります。

 

新宿のサリン事件を 起こしたオーム真理教の若者たちのことを思い出してください。

彼らはみんな社会的に言う優秀な人たちでした。

「それなのになぜ」と当時、多くの人は理解に苦しみました。

バランスを崩して、狂信に走ってしまったのです。

 

第二次世界大戦の時に、天皇陛下とか軍参謀本部が極端に極度に敬われ、美化されました。

ドイツにもよく似た状態がありました。

今考えると理解に苦しむほど不思議なものです。

歴史的教訓を生かして、天皇制をなくし、軍をなくしてしまえばもうあの様な状況は起こらないと考えがちです。

しかし、それでは解決にはならないと私は考えています。

 

それが機能したのは、天皇制、軍、といっではナチスではなく、感情が麻痺してしまったからです。

感情が麻痺してしまえば、天皇制だろうが、共産主義だろうが構わないのです。

盲信、狂信、原理主義は感情麻痺から起こるのですから、解決を考える時には焦点をそこにあてなければなりません。

感情麻痺防止対策はどうしたらいいのでしょうか。

 

教育ができることはとても多いと思います。

戦後の教育は一切そこに手を着けませんでした。

逆に正しいものはないと教え、日和見の中で、新しい感情麻痺を作ってしまいました。

戦後の日本にはこの新種感情麻痺が蔓延しているのかもしれません。

 

教育がしなければならないのは、いきいきした感情、心のバランスを子どもたちの中に作ることです。

シュタイナーは感情の二つの力を思考と意志と呼んでいます。

この二つの間のバランスを取る力を教育が強めるのです。

強めるとは、硬直ではなく、柔軟なものにするということです。

いきいきした感情、それは柔軟な心のバランスのことです。

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