アマチュア精神

2020年4月3日

私はアマチュア精神にとても共感しています。

とは言っても、アマチュアがどんなに頑張ってもプロと呼ばれる人たちにかなわない世界はいくつもあります。各種のスポーツの世界、将棋や囲碁の世界、テーラー、大工さん左官職人さん、料理人さんなどです。

アマチュアは趣味の素人芸の域を出ることはなく、その道を極めるためには専門家としてプロの道に進み、プロとして生きてゆく覚悟を決めなければならないということのようです。

確かにこの覚悟は生き方としても一線を画するもので、リスペクトに値します。

このプロの厳しい現実は知っているつもりですが、それでもアマチュア精神にとても郷愁があります。プロや専門家たちにはみられない、おおらかさと健全さがそこには伺えるのです。アマチュアでなければできないこともあるのではないか、アマチュア精神が健全な姿勢として活躍している現場があると信じているのです。

 

その一つは教育なのではないのでしょうか。

教育者は資格と言うことから見れば、みんなプロです。教育の仕事に着くにはそれなりの勉強をして、最終的に資格を取らなければなりません。社会的に見れば、資格をもったプロしかこの仕事にはつけないのです。

しかし精神は別のものです。矛盾した言い方ですが、プロとして生きている人にもアマチュア精神が備わっていないとプロの教育者は資格と言う形式以上のものではなくなってしまうこともあるのです。

専門家として、筋金入りのプロ精神で教育の現場に立ち、子どもたちに向かったとしたら、どうでしょう。さぞ良い教育ができるのではないかと考える人がいるとすれば、それこそが素人の浅はかな思い違いです。私は逆ではないかと考えています。つまりどこまでアマチュア精神を貫けるかにかかっているのだと言いたいのです。

プロの教育者たち、特に本人がプロだと思い込んでいるような教育者たちは危ないとも考えています。プロの教育者たちは教育というより、技術習得のための訓練指導は得意でしょうが、例えば予備校の先生とかです、教育に関してはアマチュア、つまり素人の精神が欠かせないように思えて仕方がないのです。

 

教育というのは人を育てる仕事です。人という無限のものを相手にするということです。人の中に宿る無限を育てることを仕事にする人はどういう人なのでしょうか。そのための勉強はどこでできて、そのための資格は何というのでしょうか。

教育は難しい仕事です。その難しさはプロ、すなわち専門職でありながらアマチュア精神に貫かれていなければならないというところにあるのかもしれません。教育こそがアマチュア精神の見せ所のように思えてならないのです。

 

最後に余計なことを一つ言って終わりにします。

母親になるのに資格は入りません。将来どのように変わるかわかりませんが、今のところはまだ資格なしで母親になれます。

プロの母親というのはどういう母親なのでしょうか。何だか怖い世界がそこにはありそうな気がしてきます。

子育ては、教育という制度の中に組み込まれてしまうとき、音を立てて崩れ去ります。母親であれ保育士であれ、アマチュア精神のもとでしか子育てというのはありえないからなのです。

 

 

 

 

 

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