新年にハイドンを聞きました

2021年1月5日

新年に相応しいものを聞きたいと考えていたらハイドンの交響曲が浮かんできたので、パリ交響曲を聞きました。ハイドンも晩年になると少しですが重いものを感じる時があるのですが、パリ交響曲は活気に溢れ、新鮮さそのもののような音楽です。こんな音楽は後にも先にもハイドンでしか聴けないワクワク感です。明るさに迷いがなく、安定した自信に満ちた歩調で前に進んでゆきます。

よくハイドンの音楽には苦悩のようなものがなくただただ快活なだけだから物足りないというようなことを耳にしますが、そういう人にゲーテがハイドンの軽やかな美しさを褒め称えた言葉を送ります。

「よくハイドンの音楽を苦悩の克服のようなものが欠けているという人がいますが、そう言う人たちに次のように申し上げたいと思います。音楽で苦悩に満ちたものを表現するというのは、他の芸術でも同じことなのですが、人が考えているよりずっと簡単なことなのです。簡単だということは、本質的ではないということで、状況がたまたまそういう風に傾いただけなのです。古(いにしえ)の人が申すようにそれは人間本来のあり方を隠してしまうのです。つまり、美、美しさをです。」

 

私たちはハイドンの後に来た十九世紀の後の世界を生きています。十九世紀は徹頭徹尾知性に振り回された暗く重い世紀でした。この暗さが知性の特徴で、知性が好きな苦悩が大流行しました。そして果ては世紀末と言う考えに覆われ、終末思想に人々は苦しめられました。苦悩のないものは価値のないものというう感じで、教会もハイドンの屈託のない教会音楽をいの一番に追放し、バッハの受難曲を歓迎したのです。人間は苦しむために生まれてきたと言わんばかりだったのです。そうしてハイドンは楽天家のお人好しのおじさんと言う烙印を押されることになったのです。もちろん今も人類は、もしかしたら気付いていないかもしれませんが、その後遺症に悩んでいるはずです。

 

苦しみは人間の本質を隠してしまうというゲーテの言葉は、さすがゲーテだと感動します。そして人間の本質を、美しさという言葉で締められる心の深さにもです。

今年は先ずはハイドンとゲーテに支えられて明るくスタートしました。どんどん明るさが増してゆくことを皆さんと一緒に祈りたいと思います。

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