一般人間学から普遍人間学へ その三

2021年12月22日

いじめは至る所に見られるものです。
最近では学校でのいじめばかりが取り沙汰されていますから、学校に特有のもののような印象を持ってしまいますが、いじめは学校の専売特許などではなく、社会の至る所に見られるものなのです。
これを退治しようと頑張っても、多分徒労に終わると思います。それくらい根っこの深いものだからです。今までもずっと存在していたものですし、これからもと同じように存在するものだからです。
なぜいじめはこんなにまで人間社会に巣食っているのでしょうか。簡単には答えられないと思います。

戦争時代軍隊に入るというのは上官、先輩からぶん殴られるということが当たり前だったと読んだり、親の代の人からの話に聞きます。ソ連連邦共和国の軍隊では新しく入った兵隊の中から毎年百人以上が自殺をしていたという記録があるそうで、新参者はどこでもいじめられたのです。体育会系のクラブでも、新入生は徹底的にいじめ抜かれるのが当たり前でした。歓迎祝いのコンパなどでは、飲めなくても吐くまで飲まされて鍛えてもらったのです。今日の社会では考えられないと思っている人がいたら、現代社会を知らない人たちです。ただいじめは表からは分かりにくくなり、陰湿になり、どこにでも見られます。外国にいると同国の人たちが集まって何かをするということが頻繁に行われますが、そんなところにもいじめの精神は立派にあって、新参者は色々とためさせられるようです。仲間外れにするというのも一種のいじめと見れば、こんなことは日常茶飯事のことです。
いじめは弱いものいじめが基本です。しかし一人でいじめというのはしないものなので、いじめの基本には集団行動という意識があり何人かがグルを作って一人をターゲットにするというパターンが多いようです。実に陰湿です。

頭がいいとか良くないとかはいじめの世界ではなんの役にも立たない基準です。
頭のいい人はずる賢いいじめをします。一方お馬鹿さんたちは非常にわかりやすいダイレクトないじめを展開します。わかりにくいいじめとよく見えるいじめがあるのでしょう。いじめの質ということになると、頭のいい人の方が手が混んでいて残忍で残酷です。特に頭に血が上ってしまうと、残忍さは頂点を極めます。昔赤軍派という集団があって、内部闘争が大変残酷で、リンチという言葉が普通に使われていたようです。リンチはいじめとは次元の違うものですが、基本はいじめに通じています。この赤軍のメンバーは社会的によくいう優秀な人たちの集まりだったのです。いじめの根っこは人間の知性というものの中に潜んでいるのかも知れないと感じる社会現象でした。最後は浅間山荘の大事件でした。
ここで思いついたのが、いじめ退治に効く特効薬はなんだろうということですが、感情をしっかり作ることです。感情がしっかりしていれば、精神的に安定しているもので、頭に簡単に血が昇ることはなくなるような気がします。感情がいい意味でのブレーキになると思うからです。現代社会の好みは知的な人間ですから、感じようの安定した人間には魅力を感じないのかも知れません。おっとりして、ぼんやりしているので、冴えた印象を与えるものではないかも知れませんが、感情が安定していなければ、知性も十分活躍できないものです。
私がお世話した子どもの中で、知能指数がやたらと高いのに、学校で授業についてゆけないという子どもがいました。私はそういう子どもを集めた施設で働いていたのですが、その子どもたちは、頭がいいのにそれを使いきれないというジレンマから大変なストレスを感じていて、教室で何度も爆発してしまい、教室が荒れるため、先生が限界を感じ、私の勤めていた施設に預けるよう手配したのですが、その子どもたちに共通しているのが、「心の安定を欠いている」ということです。大抵は家庭環境が悪いことが原因でした。小さい時から感情が掻き乱されていて、安定することがなく、何かがあるとすぐに切れて、頭に血が上ってしまい荒れ狂ってしまうという繰り返しをしていたのです。
せっかく頭が良くても、IQ160の子もいました、感情に狂いがあると持っている能力すらも使えないという大変なことになるのは、私が持った情緒障害の子どもに限ったことではなく、現代社会を見渡すと、頭に血が上っているとしか言いようのない全く同じことが至るところで起こっているような気がしてならないのです。
感情の安定は今の社会では急務のことのような気がします。

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