正解と正確さの間に垣間見られる曖昧さ

2022年12月13日

正解というのは極論すれば「まやかし」なのではないのでしょうか。ご都合主義的で、ごくごく狭い範囲でだけ通用するものの様に思えて仕方がないのです。それに人生には正解なんかないものだし、それだからこそ人生とは本物なのだと思っています。

また正確というのも機械的な考え方の延長にあるようで、よくよく見ると合理的なだけで不自然なものです。正確な人生というのも正解のある人生と似たり寄ったりです。狙い穿ったところに人生を進めて行くという考え方もありますが、人生の醍醐味は感じられません。言うなれば既製品的な人生です。人生というのはむしろ矛盾、アンヴィヴァレンス(両面価値)という平行線の方が似合っている混沌としたカオスの様です。死ぬ時に後悔を残さないようになんてできるわけがないのです。

しかしなぜ正解も、正確もない人生の様なものが存在しているのでしょう(神様なぜそんなものをお作りになられたのでしよう)。

 

数学という学問は、一般には正解とか正確に取り囲まれていると思われています。実際数式をたてそれを計算するのがいかにも数学らしいですが、数学の数学たる所以は計算にあるのではないのです。計算はあくまで道具とみなされるべきもので、手段に過ぎないからです。私は数学とは数字で語るポエジーだと思っています。ファンタジーにふあれた想像の世界でロマンがあり、実は曖昧な部分を沢山抱えているもので、ある意味文系の親戚なのです。ところが言葉ではなく数字でポエジーを語るので理系扱いされてしまいますが、数学必ずしも正解が必要なわけではないのです。

芸術を正確な絵、音楽、建築、彫刻、小説、詩というものと考えている人は、芸術を作品として、出来上がったものとしてしか見ていない人です。芸術の一番コアなところは完成以前の世界、完成までのプロセスで、そこは正確とか正解とかが複雑に錯綜しているのです。正しい絵を描こうなどと考えていたら、いい絵どころか一枚も描けないはずです。これは全ての芸術に言えて、芸術の芸術たる所以は作品以前の世界で起こりうることの総体なのですから、真の芸術と言えるのは価値などとは無縁な、価値に左右されないものなのです。

思考についていうと、思考も人生そのものです。とても芸術に近いものです。完成した思考、何々主義などというのは商品的な価値をつけたがる人たちがありがたがるものでしょうが、思考にとつては意味を持たないものなのです。純粋な思考もやはり完成以前の、プロセスの中にある思考ですから、その時点ではなんの価値も、評価も与えられてはいないのです。

 

私は調子が悪い時に文章を綴っていると元気になります。ああでもないこうでもないと文章を捏ね回している時です。文章になる寸前が一番熱いです。ですからブログが頻繁に更新されている時は元気な時ではなく、却って疲れていたり調子を崩している時なのです。

「アルプスの少女ハイジ」の作者ヨハンナ・スピリはスイスの宗教色の強い家庭に生まれました。弁護士と結婚して、苦々しい俗世界に触れると息苦しくなり精神的に病んでしまいます。療養のためにスイスの山で一時期を過ごした時に、あの「アルプスの少女ハイジ」という小説は書かれたのです。療養して元気になって書いたのではないのです。書くことで彼女は健康を取り戻したのです。体が弱っているのに大変だったのではと思うのは素人の思い違いです。

芸術、数学、思考そして人生の本質は作品として完成される以前にあるのです(名作と言われる小説も締め切りがあって完成の日の目をみたのです)。そこには正確や、正解を求める精神があるのではないのです。作品を作りながら段々と作品となるのが見えてくるので、塗り絵のようにはじめっから決められたものを作っているのではないのです。

出来上がった作品、作者の手から離れたものは、芸術作品として周囲からさまざまな価値が、正解とか正確とかを巡って備わってくるのです。

 

このブログも読まれる方たちは完成したものとして読まれるのでしょうが私的には未完成のものなのです。いつも未完のまま、後悔に似たものを残しながら「公開」というところをクリックしているだけなのです。

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