2021年2月18日
普遍人間学を読み始めて、今回強く感じたことがあります。昔読んだときはとにかく理解したいというガムシャラな読み方でしたから、細かいところは大雑把に読んでいた様です。
簡単にいうと翻訳が気になったのです。
今回は新田義之訳と高橋巌訳を交互に読みました。三回目の通読の時はドイツ語で頑張ったのですが、今回はオンライン講演の準備も兼ねて日本語にしました。
どちらの翻訳も内容的には正確に伝えられているものですし、ドイツ語を正確に訳していらっしゃいます。
脱帽に値する素晴らしいお仕事です。
シュタイナーを翻訳で読んでいらっしゃる方には違和感はないのかもしれませんが、日本語は私の場合ほとんどが小説を読むための言葉なので、今回の翻訳調の日本語は些か苦痛でした。内容的にはしっかり翻訳されているので完璧なのですが、ちょっとだけシュタイナーに関心があるという人を惹きつけることはできないだろうと思ってしまいました。
以前に一昨年のノーベル文学賞の受賞者カズオ・イシグロさんの日の名残を翻訳でよんだとき、素晴らしい訳だと感じ、原書と照らし合わせて、どいうところに感動したのか調べたことがあります。日本語で読んですぐわかることでした。イギリスの執事の文化を描写するところなど、日本人には馴染みがないのに、そこを上手に訳されていたのです。
ところがその後の同じ作者の、同じ訳者のものには感動がなかったのです。調べたら英文学者の息子さんが下訳をされて、そこにふでを入れたと後書きにあり、そうだったのかと納得しました。翻訳というよりは言葉を移行させたものだったのです。
ところが日の名残の訳は一人の手仕事の翻訳でした。ほとんど移行されていない、意訳なのです。文献学的には文句をつけられるところばかりなのでしょうが、翻訳としては、特に文学の翻訳としては大成功の名訳です。
シュタイナーの普遍人間学が、何度も読み返す中で味わいが出てくるような平易な文章にしたら、教育文献としては相応しくないのでしょうか。しかし教育は芸術だということを考えると、芸術の特徴は何回も繰り返し読めるというところにもある様に思うので、シュタイナー教育の基本文献が文学的というのはあながち間違っていない様に思うのですが、馴染みのある言葉で読むからまた読もうと手にできる様に思うのですが、それは私の勝手な思い込みでしょうか。
思わず仲正雄調でやってみるかと思った瞬間もありました。
ぜひみなさんのご意見を伺いたく思います。コメントを頂けたら嬉しいです。
2021年2月17日
先週は寒波が来て氷点下13度まで下がりました。
その前に雪がどかっと降って、寒さで凍りついたまま、いく日かは残っていましたが昨日からの暖かい雨でほとんど溶けてしまいました。
まだ体が慣れない生暖かな空気です。
でもクロッカスは咲き始め、福寿草も綺麗です。
春が来て、これからどんどん緑が芽吹いてきます。
新緑は新生の象徴です。
今年の自然ももうすぐ活気を帯びてきそうです。
そんな中で来週のオンライン講演(二十三日、火曜日の午後5時です)にむけてラストスパートです。
2021年2月17日
この本はよく読書会の様な人の集まりで教材として用いられる本です。個人的にも何度かその様な会に出ていたことがありました。でも私が得意とする勉強の仕方ではないのでその会に出ることでこの本が理解できる様になるとは思っていませんでした。
ある時この本がしきりに気になったので読むことにしました。それまで授業で読んだり、さっきの読書会で読んだりしたのですが、まるっきし頭に入っていないのです。部分的に知識として理解したものはあったのですが、それが寄せ集められても、普遍人間学が何を言いたいのかがわかっていないのです。それで一気に読んで見てはと思いやりました。
私の初期のシュタイナー経験の一つは講演録でした。英語から訳されたシュタイナーの講演「血は特製のジュースだ」を読んだことでした。翻訳調の読みにくいものでしたが、とにかくなんでも知りたいという熱意がこの読みにくい講演録をおしまいまで読ませてくれました。読み終わった時の感想は、まるで音楽を聞いた時の様な、夢見心地でした。一つ一つはよくわからないことがあったのですが、全体として掴めるものが微かにあって、それがまるで音楽を聞いた後の様なものだったのです。
音楽は聴いている時にはほとんど向こうが勝手に素通りしてゆきます。この箇所、このフレーズはよく出来ている、素晴らしいなんて考えながら聞くことはありません。もちろん素通りでも強烈な印象を残すことはありますが、それは理解というものとは別のものです。音楽は理解しなくていいのです。
シュタイナーの講演録を初めて読んだ時もそんな感じでした。一つ一つの箇所は「なるほど」と感心しながら読んでいたのですが、理解とは別のものでした。しかし読後感は、そうしたものが寄せ集まって、手応えのある何かが残ったのです。読後の全体像から朧げながらシュタイナーが言いたいことが予感できた様です。
普遍人間学も自分で読むときはそんな風に読んできました。勉強会の時のように細切れにして。この箇所は何を言おうとしているのかと立ち止まるのではなく、素通りの様にして最後まで読んでしまうのです。できるだけ早いスピードで読みます。ただ速読術はタブーです。速読は斜め読みですが、全ての行をちゃんと読みながらの速読です。
今まで三回素通りで読みました。一つ一つは頭に残っていないのですが、全体像があります。しかも読むたびにシュタイナーの他の本も読んだので別の知識もあり、それが素通りのスピードアップにつながっていました。
今回は暫くぶりなのでどうなるのかがとても楽しみです。また報告します。