師走の風

2013年12月4日

この時期には、この時期にしかないものがあります。

しっかりとした存在感を持っていて季節感と言って済まされない何かがあります。

日本語では「暮れる」と言います。一日の夕暮れ時の様に一年が暮れて行く、日本人はそんな風に感じたのでしょう。

一日の夕暮れ時は物悲しい雰囲気に満ちています。ミレーの有名な絵をご存知の方はあの絵を思い出してください。

夕暮れ時は、晩鐘の中のお百姓さん夫婦の様な祈りをささげたくなる時間です。

年の暮れの持つ雰囲気は、もしかしたら私たちは一年と言う時間を、三百六十五日と言う足し算の結果として整理しているのではなく、一つの単位として感じている所から感じるものなのでしょう。私たちには一年と言う時間の単位を感じる感覚器官があるのです。

 

ドイツも一年が暮れます。ドイツは救世主の誕生を待ちわびる気持ちが暮れに当たる待降節です。

一年の中で一番しっとりとした時期であり、と同時に師走の様に慌ただしい時期です。

冬至が近づくと日照時間が減り、朝は八時半頃からうっすら明るくなりますから、ほとんどの人が真っ暗な中で出勤し、夕方も四時過ぎには暗くなってきます。この暗い時期に古来からさまざまな宗教の救世主たちは生まれるのです。何故でしょう。

ドイツに古くから伝わる民俗信仰では、「真っ暗な時期に心の中に光を見つけるため」と考えている様です。

 

お菓子でもこの時期にしかないものがあります。

シュトレン、クリスマスケーキ、レープクーヘン刃有名ですが、ここで取り上げたいのは家庭で焼かれるクリスマスクッキーです。もしかしたらドイツには料理の名人よりクッキー焼きの名人の方が多いかもしれません。

ドイツの料理はイギリスとどっこいの勝負ですから、美味しいですよと言ってインターナショナルに自慢できるものではありませんが、クリスマスの時期に家庭で焼かれるクッキーの中には本当においしいものがありました。間違いなく世界的レベルです。過去形でお話ししなければならないのがとても残念なのですが、最近は残念ながら、もうかつての味にお目にかかることは無くなってしまいました。ドイツに行って、ドイツの味が解る様になった頃に、クリスマスを友人の家で過ごしたことがありました。その時に食べたお婆ちゃんが焼かれたクッキーの味は格別なものでした。あの味、感触、後味、一体何処へ行ってしまったのでしょうか。その味が格別だったのでべた褒めしたら、その後何年か、お婆ちゃんが亡くなるまで毎年クリスマスの頃になると、小さな袋に入った数個のクッキーが届けられてきました。

ドイツの家庭で焼くクッキーはすでに過去のものになってしまった感がありますが基本的には今でも家庭で焼いたクッキーの方が、市販されているクッ キーよりも美味しいのは今も変わりません。どんなに有名なクッキーよりも家庭のクッキーの方がおいしいだろうというのは潜在意識だけでなく実際にはまだ生きています。

日本でも最近煮物をする若い人たちがいなくなったのによく似ています。おばあちゃんたちの中にはまだ美味しく煮物ができる人がいらっしゃいます。椎茸、サトイモ、タケノコなどの煮物の技術、煮魚の技術はもうじき日本からなくなってしまいそうです。日本で講演をしていると外食が多くなります。そのことを聞いた主催者のお母様がホテルにご自身で煮込まれた煮物の差し入れをしてくださったことがありました。その時の体にしみこむ様な美味しさは他に例えるものがないほど美味しいものでした。美味しいという規準を超えているものでした。今でもしっかりと覚えています。

 

くっきりと晴れた星空を見ながら、もう一度取り戻さなければならないものがある様な気がしています。

ドイツの家庭で焼くクッキーはすでに過去のものになってしまった感がありますが基本的には今でも化手で焼いたクッキーの方が、市販されているクッ キーよりも美味しいのは変わりません。どんなに有名なクッキーよりも家庭のクッキーの方がおいしいだろうという潜在意識はまだ生きています。

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