火曜版 1 ドイツの教育

2014年3月25日

ドイツの教育の現状が大きく揺れています。ドイツはそもそも教育熱心な国でした。しかしこのところドイツの教育は教育後進国の様な体たらくで随分バッシングを受けていて、それに伴って教育を変えなければという声が上がったのだと思います。そこに現れた教育改革です。

現実的には教育を受ける子どもたちと親御さんそして教師が振り回されています。

教育が時代とともに変わることは理解できても、現場からの声で教育が変わるのではなく、政治的理由、主に経済的な理由から変えられてしまうので、実際に教育に携わっている現場の人たちが困るのは目に見えています。

本末転倒です。社会の都合に迎合されているだけです。教育がこんな弱い立場に置かれている間はユートピアの様なものは生まれないでしょう。筋金入りの教育が望まれるところです。

 

就学の年齢を一年下げようとしています。すでに実験的に希望者を対象に行っていますが、それでいいのか、それとも重大な問題があるのか、結果が出るのはずっと先のことです。

もう一つはギムナジウム、日本の普通科の高等学校のことですが、今までの九年までの制度から八年に短縮されます。ドイツの進路は小学五年生から分かれます。普通科と職業科と義務教育で終える人に別れ、普通科は今までは九年間の教育でした。ところがそれが八年間になるのです。日本の学校と比べると高校が四年まであったのを三年に縮小するということです。勉強する量は同じですから、相当の詰め込みが予想されます。

なぜそうなるのか。先生の数が少なくて済みます。一年間に掛る経費が節減できます。他に理由はない様です。

 

今まで学童として学校が終わった放課後、学校の枠外で行われたものが、学校組織の中に組み入れられ、子どもたちは午後六時まで学校にいることになり、今まで放課後はスポーツ教室、音楽教室、オーケストラ、合唱団、習い事に通っていた子どもたちが時間を融通出来なくなります。

私個人としては、ドイツの文化を育ててきた時間と空間が社会から消えて行くのではないかと懸念しています。文化は知識の量ではなく、積み重ねから生まれるものです。文化というのは無駄から生まれると言っても過言ではないので、効率よく、知識を詰め込むことが教育になり変わってしまうのはとても残念です。

今の子どもたちが一番苦手としているのは、単純なことを長く繰り返すことです。そのためには沢山の無駄な時間が必要で、教育の世界からそれが消えて行こうとしているのかもしれません。

短時間に沢山詰め込むという姿勢は大学にまで波及していて、今の学生は授業に負われてアルバイトの時間もないほどです。無駄のない教育が敷衍すると、みんな機械の様になってしまうのではないか、そんなことも思ってしまいます。

そのうちドイツも文化系の大学など必要ないといいだしかねません。

 

特殊学校を減らし、問題のある子どもも普通の子どもが行く学校に通わせる方向に進んでいます。建物を減らし、教師も減らしという所から生まれている政策です。

問題を持ったお子さんが普通教室に入ってそこで教育を受けることがどの様な意味を持つのか、それについてはいろいろな意見があります。そのことは教育政策としてどう解決するのかという問題である以上に、人間として問題を持った人たちとどの様に社会を作って行くのかという人道的な問題と考えています。そのために教育が準備しなければならないものはなにかを考えていただきたいものです。

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