徳永兼一郎の最後のチェロの音、それは声だった。

2020年5月30日

YouTubeに「徳永兼一郎 最後のコンサート」というのがあります。

N響で長年首席奏者を務めた徳永兼一郎さんが癌で亡くなる四十五日前に行った最後のコンサートの様子を伝える動画です。

もう20年以上前に放映されたものですが、今年の1月に再び聞く機会が与えられました。アップされた方に感謝します。

 

そこで弾かれた「鳥の歌」は本当に良かった。久しぶりに音楽の奏でる音に深い感銘を覚えました(この曲は32,32から始まります)。ぜひ多くの人に聞いていただきたいと願っています。

 

もう後がない。癌が進行し、死と向き合っていると誰よりもはっきりと知っていたのは徳永さんご自身だったと思います。その自覚の中で、もっと上手くなりたいという矛盾を丸抱えにして、最後の力を振り絞って彼が知る最高の音をお世話になった人たちに届けたのでした。徳永さんのお人柄がにじみ出ていました。

 

チェロの音を超えて人間の声が歌うように聞こえました。徳永さんの魂からの声だったと思っています。歌うように弾くのが理想だとチェロを演奏する人ならみんな知っていても、チェロの音を超えて魂の声に到達するのは至難の技です。その技を目の当たりにした演奏だったと思います。

 

音楽を真から愛する人間にとっては、それをしなければ音楽は技巧の産物で終わってしまうといつも考えているので、この稀有な出会いはとても嬉しいものでした。極論的に言えばそうしなければ音楽はいつまでもエゴの産物で終わってしまいます。

 

楽器は、いかなる楽器であれ全て無機質なものです。しかし音楽の不思議はその無機質に命を吹き込むことができるということでもあります。楽器にとっての一番の幸せは何かと考えるのですが、私は有機的なものに生まれ変わることだと思っています。これは技術や技巧ではできないことで、意識の進化の中だけで人間の声に限りなく近づくことができるのです。それは魂が響き始める瞬間です。同時に魂が輝く瞬間でもあります。

魂は音に変わることができるのです。一つの奇跡ですが、可能なことです。魂と物質的な響きはどこまで行っても別物ですが、意識という次元のもとでは一つになることが可能で、そこで一体化が実現した時、音は耳で聴くものではなく、心で聞くものに変わってしまいます。アコスティックな音ではなく、聞こえている向こうに魂となった聞こえない音が存在し始めるのです。真の音は聞こえないのです。

徳永さんはその音を最後にお世話になった方達お届けできたのだと思いました。徳永さんの最後にして最高の奉仕だっだと受け取りました。

 

 

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